生物が子孫を作るのは、個別の個体(たとえば一組の夫婦とか一人の女性など)の意識ではなく、集団としてその生物が数を増やすべきかどうかという意識が本能に働きかけて決まるものである。
このような「集団性の意識」は、誕生と死の両方に強く働く。
たとえば、死の方では、哺乳動物のメスが生理が終わったらすぐ死んだり、一夫多妻制のオスでボス争いにまけた「はぐれ」が短命であることから分かる。
誕生の方では、もともと人間の男性の性欲は女性からの働きかけ(誘導型性欲)なので、女性が産む気にならないと男性に働きかけず、従って男性の性欲がわかないので出生率は落ちる。戦争などの人口を損失する状態では女性は多くの子供を産まなければならないと感じて、寝化粧をする。「すっぴんでいる」というのは女性が男性に送るサインとしては「産みたくない」というものだ。
動物では一般的にはオスに性欲があるので、オスが出生率を決めるので、オスの方が一般的に立派で美しい。しかし、人間は頭脳の大きさが大きくなるにつれて男性の性欲が失われたのが大きな要因となっている。
また、女性の体内に入った精子が卵子に到達するか、その時に遺伝的に女性か男性かという問題も解明されていないところが多い。たとえば、男児の方が着床率、胎児の生育、出生時の事故、出生から成人までの事故死などがおおいので、現在の社会では、着床率は男児の方がかなり多く、出生時の男女比は1.03と言われる。
一ヶ一ヶの精子が胎児の健康状態や日本の交通事故死の割合などを理解しているわけではないので、集団的な力が精子の運動性を決めていると考えられる。
現代の日本は戦争がなく、長寿化し、人口密度が経済発展段階から見ると高い。従って、社会全体に「子供はいらない」という共通概念が生じているのは確実である。社会の発展段階から見ると、少し前までは、「食糧があるだけ子供を生む」(西アフリカタイプ、一人の女性でだいたい5.2人)、「バランスをとりながら人口増加へ向かう」(かつての日本タイプ、一人あたりの女性で3人程度)、それにフランスなどの成熟国(1.5人程度)がある。
これらについては社会学的には、女性の教育程度や育児環境ということが問題になるが、自然科学的には当然のことで、「産む必要がなければ産まない。それができないぐらいなら男女の産み分けなどできるはずもない」と言うことになる。
国の施策は生物学、統計学、社会学、哲学、などを総合して作るべきで、現在のように密室である特定の人が利権を背景に政策を議論していると日本の発展にはつながらない。
(平成27年10月17日)