日本人が原発を使うことを認めたのは、原発が「絶対に安全」と説明されていたからだ。「絶対安全」という「安全神話」は「5メートルまでの津波なら大丈夫だけれど、15メートルなら爆発する」とか、「テロはあり得ない」というように、「絶対安全」というのが「原発の実施者側の恣意的な仮定」の範囲内だけで、それを外れたら爆発し、その時には「想定外」と言われるというようには考えてはいなかった。

確かに国や東大の教授などは20年ほど前までは「軽水炉(日本の原発の形)は絶対に安全」と思っていた節がある。それは表紙に示したように「固有安全性」があると錯覚していたからだ。

固有安全性とは「原子炉が暴走しそうになると自動的に沈静化に向かう。何もしなくても爆発することはない」ということだ。つまり、事故が起こりそうになると自分自身で事故を押さえることができる性質をもっているということだ。

普通の工場や装置の場合は、爆発すると言ってもそんなに大規模な爆発はしない。最近起こった中国・天津の爆発ぐらいが歴史的にも最大規模だ。それに普通の場合は「放射線」などというものがないので、せいぜい、毒ガスのマスクをつければ消火などをすることができる。つまり事故が起こっても工場に近づくことができる。

ところが、原発は事故が起こると一般的には放射性物質が大量にでるので、人が近づけない。つまり、消火しようとしても消火できないということになる。ここが他の工場や装置と決定的に違うので、普段から「事故が起こったら自動的に事故の拡大を防ぐことができる」ということが必要で、その中心が「固有安全性」だった。

たとえば、原子炉の中の制御棒(核反応を止める役割)が不調だったり、冷却水の循環が不足したりすると、核分裂中のウランからでる中性子が沸騰している水に吸収されて連続した核分裂反応が止まるという考え方である。これが本当なら(原子力の人はすべてこの考えだった)、水の中にある核燃料は爆発することはない。これが「軽水炉」というもので、「安全な炉」と考えられていた。

ところが、今回の福島の状態を見ると、地震で配管が外れたか、津波で電源を失ったかして水の循環ができなくなった。そうすると炉内の水の温度が上がって沸騰し、そこで核分裂が止まるので、それ以上、熱を発生することなく、原子炉は冷えていく予定であった。でも、このような場合の簡単な熱量計算に間違いがあったようだ。

原子炉内は新たな核分裂で生じる熱と、すでに核分裂した放射性物質の崩壊による崩壊熱があり、崩壊熱は新しく核分裂する熱の約10分の1程度とされていた。なぜかは不明だが、この崩壊熱が炉内の水の蒸発熱などより遙かに大きく、従ってすべての水が蒸発し、水蒸気が分解して水素と酸素をだし、炉内や炉外で爆発混合気を形成するという、物理的には学生でもすぐに計算できる状態を、なぜか計算間違いをしていたようだ。もしかすると「ウソ」だったかも知れない。

かくいう私も原理を理解し、固有安全性を保つように水の量などが設計されているとばかり思っていて、自分では計算していなかった。図面を見れば原子炉の構造も崩壊熱も分かるのだから、計算すれば良かったが、「原子炉設計者が言っているのだから、間違いは無いだろう」と思って、社会にもそのように発信していた。私は、原子力関係者として情けない限りだが、事実はそうだった。

ただ、事故が起こって4年以上も経つのに、まだ「固有安全性」という原子炉の基本設計思想はどうだったのか?が明らかにされないまま原発が再開されようとし、それに疑問を挟む技術者がいないのが不思議である。

(平成27924日)