日本は戦前もやや制限がありましたが、選挙があり、内閣が政策を進めると言う点で民主主義でした。天皇陛下に大きな権限があったり、女性参政権が認められていませんでしたが、フランスも女性参政権は戦後ですし、前の憲法ができた明治の時にはロシアは「帝政」、中国は「清王朝」でしたので、まだ時代がそこまで進んでいなかったということです。

しかし、平和を守ることはできず、戦争で大きな犠牲を出しました。この戦争が避けられることだったかは別の機会に整理することにして、形は民主主義だったけれど、「軍部の独走とマスコミの世論操作」などで、実体的に民主主義(選挙で国民が意思を示す)が機能していなかったとも言われています(私は考えが違いますが、今回は多くの人が言っているように、一部の人が間違って戦争を行ったとして話を進めます。).

もし、戦前の選挙が民意を表し、その民意で当選した議員が戦争を決めたのなら、「国民が戦争しようと決めた」ということで、一部の人が戦争を始めたということはないことになります。また昭和天皇陛下は戦争を回避しようとしておられましたから、戦争をやろうとしたのは国民ということになります。

もし、戦争をしたことが犯罪に当たるなら、日本国民全部が犯罪人で、何も政府の責任者だけが戦争犯罪を問われることはありません(特に文官で絞首刑になった広田元首相など)。

つまり、私たちが平和を守ることができるとしたら、それは「自由意志で国民が投票した選挙で選出された代議士が決める」ことがまずは第一でしょう。その意味で、私は現在行われている安保法制反対デモは、国会で決まったことを覆そうとしているのですから、デモこそ戦争への道と思います。

また、野党も国会で議論し、採決することこそが任務なのに、それに欠席したり議場を混乱させたりするのですから、これも民主主義を破壊する行為で、戦争へとつながります。「強行採決」と言われますが、それはもうけようと思っているマスコミの人たちの「守銭奴用語」です。

民主主義でのデモは望ましい意思表示の一つですが、すでに2013年(一昨年)の10月には日米で安保ガイドラインに合意し、それに基づいて2014年(昨年)の71日に「憲法改正せずに集団的自衛権を強化する」と決めて政府は発表し、マスコミが大きく取り上げたのですから、その後の選挙まで半年、選挙後半年の時間があるのですから、そこで議論をして、安保反対なら自民党に投票しないというのが筋なのです。

日米安保協議が行われ、日本政府が政策を決定し、選挙が行われ、国会で議論し、約2年を経過しているのですから、これで「まだ分からない」と言うのなら、それは国民のサボり以外の何物でもありません。

私は現在の安保反対デモは「自分だけよい子になりたい=子供を抱いてこの子のためにということで偽善的ポーズをとる」ということで、責任ある大人のすることではありません。こんなことなら、日本に言論の自由も、事実報道するマスコミも、自由な投票も不要で、なんでもケンカでもして決めれば良いでしょう。

デモは良い方法ですが、こんな時期のデモは戦争につながります。

(平成27917日)