1945年に大東亜戦争に敗れ、日本は「国」を失いました。しかし幸いにも日本は分割されずにすみ、翌年には日本国憲法が、そして5年後の1950年には自衛隊(最初は警察予備隊と呼んだ)が、1951年にサンフランシスコ平和条約、日米安保条約が成立し、さらに1956年国連に加盟(申請は1952年)して、やっと独立国としての体裁を整えました。
(表紙は終戦後、主としてソ連が主張した日本分割案。北海道と東北はソ連、四国は中華民国の領土になるところだった。これに反対したのはセイロンの首相だった。)
この11年間に日本は戦後の基本的な体制を整えたのですが、吉田茂首相が1946年から1954年まで国政を担当しましたので、(平和憲法、自衛隊、日米安保、国連主義)の4つの柱は吉田首相のもとで作られたと言ってもよいでしょう。
その後、若干の変化はありましたが、日本人は終始、日本の平和を守るこの4つの基本政策を支持してきました。しかし、見かけ上、この4つは矛盾しているように見えるので、日本国民は、自らが支持してきたこの基本政策を、なにかことがあると「ダメ」と正反対のことを言ってきました。つまり、
1) 平和憲法は国際紛争を武力で解決しないとしている、
2) 自衛隊は武力である、
3) 日米安保は集団的自衛権である、
4) 国連憲章では個別および集団的自衛権を認めている、
という内容だからです。そこで、日本人の解釈は、
1) 日本人は日本列島と日本人の命を守る権利を持っている、
2) その権利を発揮するのは平和憲法の範囲内である、
3) つまり、「国際的紛争を武力で解決しない」というのは、「日本と日本人の生存に関係の無い紛争に限る」とした、
4) 日本を守る軍備はすぐできないので、自衛隊を作って訓練し日本を守ることは合憲である、
5) 国連に加盟するということは国連の一員になるので、自衛権を有することになる、
という理屈です。最近、集団的自衛権で「違憲」という話がありますが、内容はこのシリーズで丁寧に吟味するとして、「集団的自衛権だから違憲」ということになると、これまでの60年以上の日本国民の選択を尊重しないことになりますから、適切ではないでしょう。
それは日本が「民主主義」だからです。民主主義というのは特定の個人が考える「正義」ではなく、日本人の多数が考える正義を「正義」とするという制度だからです。たとえ元最高裁判所長官が個人的に集団的自衛権を違憲と考えても、それは「この60年間、日本人が民主主義のもとで正しいとしてきたことに反するので、個人的意見に止まる」と言うことになります。
民主主義にも欠点がありますが、私は現在の日本の運営は、独裁制、封建制(お殿様)、偉人支配などより、欠点があっても民主主義が良いと思っています。
(平成27年9月9日)