せっかく新しい理想に燃えて新しい秩序を建てようとしても、周りは古い利権があるから容易には受け入れない。そしてナポレオンの時には対仏大同盟を、東条英機の時にはABCD包囲網を作った。

物理学に作用反作用があるように、外から締め付ければ内部でそれに反抗する力がわく。それがフランスの国歌、ラ・マルセイユーズであり、日本の「欲しがりません、勝つまでは」だった。

日本がハワイを攻撃したとき、保守派の武者小路実篤と、かの太宰治は次のように言っている。

武者小路実篤「12月8日はたいした日だつた。僕の家は郊外にあつたので十一時ごろまで何も知らなかつた。東京から客がみえて初めて知つた。『たうたうやつたのか。』僕は思はずさう云つた。

それからラジオを聞くことにした。すると、あの宣戦の大詔がラジオを通して聞こへてきた。僕は決心がきまつた。内から力が満ちあふれて来た。『いまなら喜んで死ねる』と、ふと思つた。それ程僕の内に意力が強く生まれて来た」

太宰治「しめきつた雨戸のすきまからまつくらな私の部屋に光のさし込むやうに、強くあざやかに聞こへた。二度朗々と繰り返した。それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変はつてしまつた。強い光線を受けて、体が透明になるやうな感じ。あるひは、聖霊の息吹を受けて、冷たい花びらをいちまい、胸の中に宿したやうな気持ち。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ」

なぜ、彼らはこう言ったのだろうか? 私たちは「開戦すべきではなかった」と言うほど判断力があるのだろうか?

(平成2786日)