よく、「平和」か「戦争」か。「戦争は良くない」、「平和は大切だ」という。でも、「平和か戦争か」が問題になったことはほとんどない。
日本が大きな戦争をしたのは2回(日露戦争、大東亜戦争)だが、日露戦争は、
1)
植民地になるか(国民の5分の1が殺される)、戦争するか(戦没9万人)
2)
総人口は5000万人
という結果だった。死亡した数の問題とも言えないが、戦争したので犠牲者は0.2%ですんだが、植民地になったら20%は死んでいた。戦争の犠牲者の多くが兵士でその数は9万人。植民地になれば女子供を含めて2000万人程度が犠牲になる。
戦争をするかどうかは、その時、やはりどちらが悲惨になるかを考えてする。
大東亜戦争の時には、アメリカが日本に屈辱を求めた(「俺の通りにしなければ餓死させるぞ」と言って、石油と鉄鋼を禁輸し、ABCD包囲網を作った)ので、日本は、永野軍令部長の発言通り、
1)
戦わずして滅びるか?
2)
戦って滅びるか?
の選択となった。日本には石油がないので、実質的にアメリカの植民地になることを意味していた。アメリカの植民地になったフィリピンでは、アメリカの小隊(数10人)を殺害したとして一つの島の住民が皆殺しになった(数は40万人から120万人と言われる)。
永野軍令部長は「戦わずして滅びるより、戦って滅びる方が、魂が残るので子供たちには良いと思う」と言って戦争に入った。
戦争は、「平和か戦争か」という選択ではなく、「兵士が死ぬか、虐殺か」か、もしくは「100万人死ぬか、1000万人が殺されるか」の選択である。もちろん、ロシアやアメリカという強盗団がいなければ戦争はいらない。強盗がいなければ家に鍵をかけないのと同じだ。
もっともつまらない議論が「戦争はいやだ。平和が大切だ」というもので、そんなことは言うまでも無い。だれでも戦争はいやで平和が良い。
現在でもそうで、中国(中共=中国共産党)が攻めてこなければ集団的自衛権はいらない。しかし、現に尖閣諸島や南シナ海、それにチベット、ウィグルを見れば、日本が緩めれば中共が日本を占領することは明らかと(私は)思う。だから、私はイヤイヤ、集団的自衛権に賛成だ。本当は憲法を改正して、アメリカとも対等な関係で日本の独立を果たしたいのだが。
(平成27年7月28日)