最高裁判所は憲法の番人として日本の司法の頂点にいる。安保法案が「違憲」というので「ほとんどの法律学者」が一致しているなら、安保法案の「憲法に適合しているか」を最高裁が判断するのが最も良い。

日本は三権が分立していて、最高裁判所裁判官の国民審査もやっている。司法のことは司法にまずは任せるのが「法治国家」の筋道だろう。なにか具体的な事件が起こらなければというのも奇妙だが、どうしても事件が必要なら「税金不払い運動」をおこし、「安保法制は憲法に違反するから、そんなことに支払われる税金を俺は払わない」として逮捕されれば、事件になるだろう。

「憲法違反である法律ができると、必ず憲法違反の行為が行われる」というのが証明されても、法律ができ、被害者がでなければ裁判にならないということであれば、その方も改正して「かなりの確率で犠牲者がでることを立証できれば、裁判で判断を求めることができる」という法律を通せば良い。

司法が役に立たないとして、デモをしているだけでは日本は法治国家では無い。司法がなにをするのかも法体系の一つだから、私たちはもっと「現在、私たちが合意して作った諸制度」についての自信を持つ必要があるのではないか?

(平成27726日)