日本の医師は世界的にも素晴らしく、日本国民の病気なら貧乏な人でも誰でも同じ人間として治療するという固い信念をもってやってくれている。こんな国はほとんどない。多くの医師の中にはやや変な人もいるが、およそ日本の医師ほど優れた専門家集団はいない。
でも、医師にも限界がある。それは「治療=修理」であって、「人間の体はもともとどうあるべきか」は十分には分かっていないし、研究も不十分である。
「病気=故障」の修繕に全力を注げば、「本来どうあるべきか」はおろそかになるのは当然だが、「健康や寿命」にコミットしたところが問題だった。日本人は医師を尊敬しているから、あまり科学的な背景がなくても「医師が言うのなら」と言って信じるし、反対に医師でもない人が健康や寿命について語るとうさんくさい目で見られる。
でも、医師は「健康と寿命」の関係も知らない。医師は「病気がなければ健康であり、健康であれば長寿」と思っている。また厳しく言えば医師が「病気」を直すことができるのはほんの一部である。
ガンは「切り取る」のだから治らない。高血圧は降圧剤を投与するのだから、高血圧の原因(たとえば動脈硬化)は直せない。私の痛風は血中の尿酸の検知が狂っているようだが、尿酸の排出を促進したり、尿酸の合成を抑制したりはできるけれど、検知が狂っているところは直すことができない。
でも、医師を非難するつもりはない。できないものはできない。でも地震予知や火山噴火と同じように「できないことをできるように言う」のが悪い。
医師は「ほとんどの病気を治療することはできないから、一所懸命、治療を研究する」と言って欲しい。また、健康であるということは「老化」も含むのだから、「年齢に関係ない血圧基準」などは止めてもらいたい。また、多くの動物の例を見ると「健康だから長寿」ではなく、「社会に意味があれば長寿」なのだから、医師が長寿のことを言うときには、もっと深い意味を研究し整理してからにして欲しい。
治療、健康、寿命がこんがらがって、医師が自分ができると思っているのも、現代の社会の仮装でもある。
(平成27年7月24日)