安倍政権が安保法案を強行採決したのは、安部さんに気持ちになって見ると、「日本のマスコミが正しい報道をしないので、国民の理解が不足するのはやむを得ない」ということと思う。
マスコミの報道は、安倍首相から見て「どうにもならない」という報道をする朝日新聞と、逆に国民から見て「肝腎なことを報道していない」というNHKの両方がある。
安倍首相から見ると、「中国がこれほど攻撃的なのに、どのようにして日本を守るの?」、「沖縄の基地やオスプレイに反対しているけれど、どうして尖閣諸島や石垣島を守るの?」という気分だ。
一方、国民から見ると「アメリカと一緒に戦争したくないし、憲法違反といっているし」と思っている。「何時までもアメリカに守ってもらうというのもどうか?」ということについては、「それはそうだけれど、守ってくれるという間はアメリカに任せた方が得だ」というのも事実だ。
その上で、近い将来の日本のためにどうしたらよいかというと、かなり精密な議論が必要で、それを提供できるのは今ではテレビがほとんどで、新聞も一方通行ながら少しは貢献できる。
しかし、マスコミは原発事故以来、すっかり萎縮して「事実を伝える」と言うことができない。集団安保や原発のような対立が激しい政策となると、たとえば賛成が50%、反対が50%で、それも対立が厳しいとなると、自分では事実を報道したつもりでも、結果的に「政府より」と思われると半分の人が見なくなる(購読しなくなる)のが怖い。
そこで、できるだけ焦点をぼやかして、当たり障りのないことを言う評論家に任せるか、何を言っているのか分からない民主党にでも登場してもらうということになる。原発問題では、1年1ミリが規制値であることや福島で子供たちの甲状腺ガンが出ていることもテレビは知っているし、それを報道すると大きく関心を呼ぶことも分かっている。
テレビや新聞はもともと強い関心を呼ぶ話題を取り上げたいのだから、すでに格好のニュースがあるにも関わらず、「関心の強いニュースを取り上げると、バッシングも強い」ということで躊躇し、結果として肝腎なことを伝えないから、結果としてウソになる。
今度の安保法制はすでに戦後70年間の議論の余裕があり、国会だけでも100時間を超える。民主党は2005年から憲法解釈で集団的自衛権に踏み込む予定だったし、安部さんが改憲論、再軍備論であることは誰もが知っている。おそらくテレビや新聞の人の多くも、自民党か民主党に投票していると思うけれど、その両党とも集団的自衛権賛成なのだから、個人としてまたは大人としてもどのような精神構造になっているのかと訝る。
「視聴率が心配だから、空気しか報道しない。事実は厳しすぎる」という報道姿勢はこれからどのぐらい続くのだろうか?
(平成27年7月18日)