せっかく日本が大東亜戦争を戦って多くの血を流し、この世界が「強いものが弱いものを自由にできる」という不文律を崩し、「弱くても独立できる」という新しい秩序を作り上げたのに、支那だけは白人側についたので、戦争後に周辺諸国を「力」で侵略を始めた。

チベットについては先回に整理をしたが、チベットと同じようにウィグル、モンゴル、満州を侵略した。ウィグルはトルコ系のイスラム教徒の地域で、歴史的には長く内陸に住む人たちの国で中国語では「回疆」(イスラムの土地)と呼ばれていたが、清朝の時に征服され「新疆」(新しい土地=侵略地)と呼ばれるようになった。

第二次世界大戦が終わり、ここには「東トルキスタン共和国」というのができたが、中共が侵略して「新疆ウィグル自治区」として支那に編入されている。その後の独立運動はチベットほどは激しくないが、多くの回教徒がロシアの方面に逃げている。

内モンゴルはこれも第二次世界大戦が終わった後、モンゴル族が二つに分裂したので、その隙に中国の領土に編入された。その後、中共は内モンゴルの漢人化をはかり、支那から漢人を移住させて人口の半分以上を漢人にしてしまった。

満州は戦争末期にソ連が日ソ中立条約を破って日本の関東軍を破り、一時はロシア領となったが、スターリンと毛沢東の領土交渉で中国の領土となった。満州は日本が満州国を運営していたので、他の中国の地域より近代化していたが、朝鮮戦争が始まると満州の男を「志願兵」として徴用し、突撃させてそのかなりの部分を戦死させ、これも満州の支那化をはかった。

このようにチベットから始まり、ウィグル、モンゴル、満州と、もともと支那ではない領土をどんどん侵略していった。つまり第二次世界大戦後の世界は、「弱い国が独立していく時代」だったが、中共だけは「共産主義を広める」という錦の御旗のもとに周辺のアジア諸国を侵略したのである。当時、日本でも「共産主義は正しい」とする人が多く、中共の侵略は「侵略」と呼ばず、日本が白人と戦ったのを逆に「侵略」と呼んだ。

東大を中心とする日本の歴史学会も「共産主義は正しい」ということで、中共の侵略を「正義の戦い」とし、日本の植民地解放は「侵略」と呼んで教科書などを作り、今日の錯覚の元を作ってきた。

現在のアメリカは「民主主義を広める」ということで中東に軍隊を送っているが、かつてアメリカがフィリピンに進出したときには、カソリックのスペインを追い出してフィリピンを占領した。

イデオロギーや宗教のもとで他国を侵略してもそれは正義であり、「アジアを白人の植民地から解放する」というイデオロギーは軍国主義であるという分類も戦後の日本の歴史学者の特別な考え方であった。

(平成27712日)