サンフランシスコ平和条約で日本が独立した直後に自衛隊(最初の名前は自衛隊ではなかったが)ができた。独立して63年、自衛隊が発足して61年だからほぼ同時と言ってよいだろう。
自衛隊が合憲か違憲かは長く議論されてきた。自民党は「憲法九条の規定は自衛権まで禁じていない」という解釈であり、社会党系は「自衛隊は憲法違反だ」としていた。しかし、社会党の村山富市委員長が政権を取ったとき、自衛隊を認め、海上自衛隊の観艦式に出席して敬礼し、中東からの油の輸送のルート(シーレーン)の確保を支持した。
つまり社会党が自衛隊を違憲として反対していたのは、政権を取るための方便であって、本当は自衛隊が必要だと考えていたことが分かった。その時点で日本には「自衛隊は違憲だから解散すべきだ」と考える人はいなかったと言える。
朝日新聞はどうだったのだろうか? 少なくとも表面上は自衛隊が違憲だという紙面を作っていたが、いつでも真逆な方向に転換する新聞なので、これも本気で自衛隊が違憲としていたわけではない。
その他、平和運動家、左翼の歴史学者なども社会党を支持していたので、運動や地位のために自衛隊を違憲と言っていただけということになる。ある人の心の中はその人が言っていることより、行動していることによって露見する。だから、やはり日本全体が自衛隊を合憲としていた(自衛のための軍隊は必要だ)ということになる。
ただ、申し訳なかったのは自衛隊の人だった。60年間にわたって違憲だとか暴力装置だとか言われながら、黙って国を守った。軍服で外を歩くことも控え、ひたすら日陰者のように過ごした。本来なら命をかけて日本を守る役割を負っているのだから正々堂々と行動し、私たちも自衛隊の将校や兵を尊敬しなければならなかった。
それは大東亜戦争を実際に戦った日本軍の軍人もそうだった。祖国とアジアのために命を捧げたのに「軍部の独走」とか「侵略」などと言われて黙って(老兵は)消えていった。
私たちが日本の未来を考えるとき、これまでのように「自分だけに都合が良く、どこかに責任をかぶせる」手法では本当の政策は出てこないだろう。
(平成27年7月4日)