(特記)

少年法で名前を明かさないのは、少年の場合、年齢が若いので、刑罰を科して刑務所に入れても、出所してくる年齢が若いので、名前などが分かっていると、出所した後もまともな生活を送ることができず、再犯につながる。このように単に少年のことだけを考えず、社会全体を見て判断する必要がある。(特記終わり)

ある大学の女子学生が高齢の女性を殺害したということで、大学の名前や出身などがテレビに出て、週刊新潮は写真まで出した。

私はあるテレビのニュース解説にこの事件が出たので、大学の名前を出すのに強く反対した。というのは、少年法には表紙に示した第六十一条ではっきり新聞などの掲載を禁じている(罰則なし)。

ところがまず女子学生の所属する大学が声明を出して「よい子」になろうとした。それを受けてあるテレビ局が「大学が声明を出したのだから、隠すのは意味が無い」と言った。私は抵抗し「誰かが泥棒をしたから、泥棒が正当化されるのか」と言った。

その後、ネットで少女の顔写真がでた。そうすると週刊新潮が「ネットで顔がでている」と写真を公開した。

誰かが犯罪を犯したら、自分が儲かるため(視聴率や販売部数)に犯罪を犯して良いという理屈は現在の大学やマスコミで一般的である。私には理解不能だが、それも現実だ。

そこで、あるテレビ討論番組でマスコミの信用できる人が一緒だったこともあって、この問題を持ち出した。その人は「マスコミは法律を犯す権利がある。法律の悪いところを指摘して法令を変える力になる」と言われた。私は「そんな権利を誰からもらったのですか」と聞いたが、討論の時間は無かった。

このマスコミの考えは私には傲慢に思えるし、こんな理屈が通ったら誰もが犯罪を犯すことができると思うけれど、ただマスコミがなにを考えて少年法を破っているのかは分かった。

この少女は19歳の時に犯罪を犯したが、その2年前の高等学校の時の犯罪もテレビで報道されている。少年少女の犯罪は、保護者や社会に責任があるとして本人の責任を問わないという少年法の精神を活かし、それが時代遅れなら法令改正の討論をするべきである。

実は少年法の改正はかなり昔から行われているが、一般的に考えられているほど簡単な問題ではない。社会における再犯率や社会の被害の大きさは少年の名前を出さない方が小さくてすむということもあるのだ。

私は、大学、マスコミは今より厳しい順法精神を持って、日本社会がまた昔の村八分、リンチの世界に戻らないようにしてもらいたいと思う。この前に書いたシリーズの記事の感想で、「高校生がバイクを乗ると学校から指導される」というのがあった。誠に学校のサボりを示している。

(平成27531日)