選挙の途中で大阪の様子を見ていたら、自民党や民主党が大阪都構想に強く反対し始めた。自民党の本部はおそらく故意に「政府側は賛成、党側は反対」という区分けだったが、これは政治的な駆け引きで、あまり感心しない。
「無駄が多い」というのは税金を納める国民の方から見た現状認識であるが、その「無駄」というのは「税金を使う」ということだから、そこに必ず「利権を得ている人」がいる。今度の大阪の場合は、長い歴史の中で縁が切れない中間団体や直接受注している会社などだ。
彼らは改革が行われると今までの既得権益が奪われるので、反対する。だから、私も「大阪都の反対の理由が分からない」という質問を受けるし、70歳以上の年配者が「無料のパスをもらえなくなるのではないか」という理由で反対したということも小さいけれど、やはり「既得権益」の問題である。
この手の選挙では常に、「将来を見た政策」と、「既得権益をまもる戦い」の争いだが、今回は既得権益側が勝ったということで大阪の発展は望めないだろう。
しかし既得権益とはなんなのか? それは力のあるテレビ、新聞が報道すべきものであり、それが現在ではすでに力を失っていることに日本の将来の暗雲を感じる。二重行政だから無駄が多いといっても神奈川はあまりそのような声も聞こえず、私も20年近く横浜に住んで、実感はない。なにが具体的に問題なのか、マスコミはほとんど伝えない。
ここでのマスコミの問題は、「住民説明会に行かなければわからない」という人が多かったことでも分かるが、これだけ多いテレビ、新聞の報道は「橋下市長の性質」などのゴシップ的報道が続き、その結果、住民説明会という明治時代の方式に市民が頼らざるを得なかったのはおおきい。
また、民主主義はそれを構成する人が等しく選挙権や人権をもって運営する方法だから、選挙になれば青年も老人も同じ一票を持っている。でも、大阪都構想のように「大阪市の未来に大きな影響がある」という場合の投票は、「自分の人生ではなく、大阪市の未来をどうするか」で投票しなければならない。
その点では、「市から区制度への移行に600億円かかる」とか「今、もらっている無料パスがなくなるかも知れない」などを選挙行動の中に入れてはいけない。老人(老人は差別用語でも放送禁止用語でもありません。お年寄り、おじいさんなどと同じです)はあくまでも「自分の長い経験から大阪の子供たちはどういう自治体が望ましいか」が問題である。
その点、投票結果を見ると、老人の多くが反対をしているが、これは我が身を捨てて大阪の子供たちのために考えた結果ではないと思う。私がそのように推定する根拠は具体的な町の声などもそうだが、反対派が「老人票を得るために、現在の利得を説明した」ことによると思う。
もう一つ、民主主義は「一票でも多ければ決まる」というものではない。その内容によって「多くの人が賛成すること」を実施する場合もある。今回の場合は、一回目の選挙結果が僅差である場合、1年ぐらいの討論を経て、再度、投票するぐらいのことは必要だったと思う。
いろいろ考えなければならないことが多い大阪都構想だった。
(平成27年5月18日)