ムハンマドが神からのお言葉をアラビア語で書いたコーラン(quranと書くので、これまで日本ではコーランとしていたが、今後はクルアーンと呼ぶようになるかも知れません。いずれももともとはアラビア語で、それをラテン語や英語で呼んでいるので、何が正しいかということをあまり言わない方が良いだろう)の内容があまりに素晴らしかったので、多くの人が次々と信者になった。

ユダヤ教などでは「原罪」というのが合ったり、信者にならない前のことを問題にしたりする。その点、イスラム教は合理的で簡便、信者になる前のことは問わないし、なってから信者がやらなければならないのは、礼拝し、ラマダンを守り、ただひたすらアッラー(神)を信じれば良いのだから日本の浄土真宗に似ていて、現代流で言えば、上から目線でもないし、権威主義でもなく、ただ、自分の命がつきて肉体がなくなり、遙か未来に神の裁きを受ける時に、悪い方に分類されないように毎日、コーランとシャリーアという行動規範に書かれたことを守れば良い。

それも簡単で、信者が平等だからお金持ちは寄付をする、ラマダンの時には日没まで食べない、一生に一度は聖地に巡礼するということだ。

多くの人に受け入れられ、かつ中間管理職がいないので、日常的なお金や男女のこともシャリーアに従うので、国と宗教が一体というところがある。少し強引な言い方だが、キリスト教の教会組織、仏教の宗派組織とイスラム教の国は少し似ていて、神と信者(ムスリム)しかいないので、国を作ってそこで信仰を守り、共同体を作る感じだった。だから意思は統一しているし、力は出る。

ムハンマドが没した後、ますますイスラム教は繁栄し、「正統カリフ」と呼ばれる、宗教指導者でもあり、国のトップでもある人が統治して、中東全体に勢力を伸ばした。正統というのはムハンマドを正しく継いでいるという意味だが、4代目のアリーの時に派閥争いで暗殺され、それ以後は「正統」とは呼んでいない。

カリフというのはアラビア語で「代理人」の意味で、選挙でムハンマドの代理人を選ぶだけだから神父やお坊さんのような中間管理職でもなく、クルアーンを独自に解釈したり、宗教的行事を主催したりはできない。単なる学級委員のようなものだ。

ついでにイスラムの歴史に出てくるスルターンというのは日本語で言えば「王様」だからスルターンなどと呼ばずに、王とか皇帝といった方がわかりやすい。いずれにしても正統カリフの時代が終わって、ウマイヤ朝の時代になり、カリフは「選挙」から「世襲」に変わり、アラブ人とアラブ人以外の人を区別するようになる。

もともと神の前に平等なのだから、カリフは選挙が適当だし、人種によって信者を分けることもないのだが、やはり人間が入るとややこしくなる。

でも、権力が強くなるので国家の力は大きくなって、ウマイヤ朝の時代にイスラムの世界はアフリカの西北部からリビヤ、エジプト、中東、さらに中央アジア、インドの西にわたる大帝国になった。さらにそれまではヨーロッパの領土だったイベリア半島(スペイン、ポルトガルのあるところ)もイスラムになる。

(平成27313日)