禁煙運動は途中で行き詰まって「副流煙」を持ち出すようになったが、もともとは「喫煙者本人の肺がん」だった。喫煙者本人の問題だから、喫煙者に呼びかければ良いのに大々的な禁煙運動が起こり、町を禁煙にするのが自治体の首長の票取りにもなった。
節約運動というのもあり、「節約は大切だ」とばかり人の人生観に踏み込んでくる。節約したければ自分で節約すれば良いのに、他人を巻き込みたくなる。節約しようにも賃金が上がれば使うことになるが、節約運動家もベースアップに熱心だ。
タバコを吸う、贅沢をする、美味しいものを食べる、豪華な旅行をする・・・みんなそれが楽しみではないのか? そして何も悪いことはない。でも社会は奇妙なことが起こる。たとえば自分が貧乏で使いたくても使えないので節約を呼びかける、裏で贅沢をしているのでそれを批判されるのが怖いので表面は節約を装う・・・というのでは偽善者のようなものだ。
本当はしたくないことをしようとすると他人を巻き込みたくなり、自分が本当にしたいことをするときにはそっと他人に知らせずにする・・・そんな人間のずるさが見えてくる。そして実害もある。
肺がんの本当の原因をまじめに追求しようとしていた私のような人物は禁煙運動家からこっぴどくバッシングを受けたが、その結果、女性の喫煙率は変わらないし、男性も喫煙率は半減したのに肺がんは10倍以上に増えている。
禁煙運動がなければ肺がんは抑制できた可能性が高い。
(平成27年3月19日)