ネット社会では顔が見えないことを良いことに、「死ね」に代表される汚い言葉、礼儀知らずな批判が続いています。思春期の子供ならともかくいい歳をした大人で、批判している内容はかなり高度なのに「死ね」とかそれに類する言葉を使うようでは批判はその意味を失うでしょう。

政府とか政党、力の強い団体、東大などを批判するときにはある程度の激しい言い方も成立しますが、個人の場合は常に丁寧に礼儀をもって批判することが大切と思いますし、批判というのは「合意」を目指したものでなければ意味がありません。

バッシングの中にはもともと「反目」を目的に相手の感情に触る言い方をする場合もありますが、それは子供のやることと思います。

また、批判は「本人が変更せざること・・・おまえは黒人だとか女だといった批判」は絶対にダメですし(本当は名誉毀損)、言っていることや意見に対する具体的な批判をするべきで、「おまえはもともとこういう奴だ」とか、「きっと***が嫌いなんだろう」というような批判はする必要がないと思います。

ネット文化を育て、優れた情報源、自由な意見交換の場として成長させるためには、ネットを使う人の個人の見識を求めたいと思います。油断していると規制がかかる可能性もあります。もしかすると反目のためにバッシングしている人は、「一体、こんなことを言う人はなにをやっている人だろうか?」とか、政府の回し者で、ネットをダメにして規制を導入しようとしているのではないかと思うことすらあります。

また私のように20年来、ネットや書籍などで活動していると、「昔と言っていることが違う」という批判を受けます。勉強や経験で意見は変わりますし、それもちょっとしたところが変わったということをとらえて「すべて真逆なことを言う」などと言うのは批判の前に正確な表現を求めたいように思います。

このようなことがあると、自由な意見や思い切ったことはいえなくなり、つまらないネット社会になると心配しています。「変化してはいけない」、「専門家でもないのに」という批判がありますが、日本独自の批判で、これはかなり慎重である必要があります。

(平成27315日)