「初心、忘れるるべからず」と言いますが、人間はとかく初心を忘れやすいものです。ムハンマドが誕生した紀元600年頃、すでにササン朝ペルシャの主たる宗教だったゾロアスター教の教祖、ゾロアスターが出現してから2000年、ユダヤ教のモーセが神から神託を受けてから1200年、イエスキリストが登場してから600年を経ていました。

おそらくこれらの宗教指導者は立派な人で、神に対する心も尋常ではなかったと思いますが、偉い人が立派な教えを初めても時が経つにつれて、坊さんが利権をむさぼったり、宗教上の地位を利用していじめたりということが起こるものです。

本来、宗教は神様がおられて、圧倒的に偉いのですから、神様と比べてまったくダメな人間はすべて神の前に平等なはずですが、修行した人、教団に所属している人、宗教的行事でお金を儲ける人などが特権階級として宗教上の地位を占めることになります。

日本でも、寄付金が多い、特定の団体によくしている、戒名をつけてもらうお金が高い・・・などで死後の待遇が良くなるように言われたりしますし、生臭坊主などと陰口をたたかれたりします。

ムハンマドが登場する頃のゾロアスター教、ユダヤ教、そしてキリスト教も内部の腐敗が始まっていて、人間も上流階級だけが宗教的にも優遇されるようになっていました。さらに、中東の民族は基本的に「商人」、「遊牧民」が多く、一つのところに住まずに移動するので、ササン朝ペルシャ、地中海情勢、パレスチナ、中央アジア、インド方面など広く情報が伝わっていました。

そして、社会に不平等の不満や、既得権益に対する怒りなどがあった時代でした。そこにムハンマドが登場して、神の預言を受け、「神の前に平等」、「特権的集団なし」、「偶像崇拝厳禁」という画期的な教えを宣教し始めたのですから、庶民は大賛成、お金持ちは大反対ということになりました。

初期の頃、あまりに画期的な教えにお金持ちはついて行けずにムハンマドを攻撃し、やむなくムハンマドは布教を開始したメッカからメジナに移動せざるを得ませんでした。しかし、もともと宗教ですから神の前に平等なのは当然で、多くの人はお坊さんが特権を持ち、神殿に行くと多くの供物などを求められるのに辟易していたので、次第に「正しいムハンマドの言うことこそ、神の教えだ」と信じて、イスラム教に改宗していったのです。

キリスト教のローマ法王を尊敬している人が多いので、あまり私の感想をいってはいけないのですが、イエスの言動を記録した聖書にはローマ法王のような権威の存在はあまり認められていないのではないかと思います。また神やイエスの偶像なども本来は望ましくないように感じられます。

このシリーズではまだイスラム教の偶像崇拝厳禁について整理をしていませんが、神やムハンマドのように私たち一般人より遙かに偉い人の「偶像」を作るとすると、作る人は人間なので、それだけで偶像はあまり信用おけません。さらには一つの偶像と他の偶像は違うので、あちらの神は良いけれど、こちらはちょっという風に神様に優劣がついてしまいます。

また、もともとある偶像(仏像のようなもの)の素晴らしい作品ができると、みんながその偶像に感心して、それが神の姿になってしまいますが、もともと偶像を作る人は神を見ていないのですから、人間業を神と混同することになります。だから仏教でも「仏像」は宗教的にはあまり感心しないように思います。

でも、イスラム教が誕生するまでは「本当は偶像は良くないことだが、精神的なことを理解でいない庶民には偶像は必要だ」と為れてきたのですが、すでにイスラム教が誕生してから1500年以上も経過して、偶像なしで多くの人がイスラム教のもとで宗教的安定を得ていることを見ると、偶像はいらなかったのでしょう。

いずれにしても、「平等」、「中間管理職なし」、「偶像なし」という新しい宗教は急激に信者を増やしていったのです。

(平成2738日)