なぜ、コメンテーターやマスコミは一方的に先生をバッシングするのだろうか? 豊田(音声で豊橋と言ったように思います)の小学校で体罰があり、先生の非難一色である。

私も長い教育経験で体験しているのだが、ある程度の体罰(殴る蹴るではなく、引きずり出すなど)ができずに「口だけで教育する」というのは無理であることを社会が知らないと教育はできない。

つまり、現在の日本では家庭で行う最低の教育、たとえば「先生がおっしゃることは必ず聞け!」というぐらいのこともやらない。だから、一人の暴れる生徒のために教育自体ができなくなってしまう。

今回の愛知県の体罰事件は、先生が児童に「舞台から降りなさい」と再三いっても降りないので、無理矢理下ろしたときにねんざしたことと、体育館から出て行くようにいっても出なかったので、これも無理矢理、腕ずくで出したことによって起こった。

先生の行動が100%正しいとは言わないが、「学校教育を受けるところまでも家庭で教育されていない」子供が小学校に来るから起こったことでもある。それをゼロカウントでは教育は荒廃する。子供が「学校教育を受ける姿勢を持つ」ところまで教育するのは家庭の責任である。

たとえば、舞台の上で何かの練習をしているときに、そこに居ては練習ができない子供が先生の言うことを聞かなければ、全員の練習ができない。学校は一人の子供を教育するのに、全員が教育のチャンスを失うことは適切ではない。

体罰(殴る蹴るではない)が必要なのは、「どかせる、教室の外に出す」などの時に起こることで、子供が先生の言うことを聞けば体罰はいらない。私が苦労したのは「集団の私語」だ。講義が始まっても4,5人で大きな声で話している。私が近くに行って注意をしてもまったく聞かない。うるさくて講義ができないし、他の学生はいじめを怖がって何も言わない。

どうしても聞かないときには講義ができないので、他の学生の教育の機会を奪うので、自分より背の高い学生の腕をとって廊下に出す。それでも机にしがみついていたら、机ごと引きずり出す。そのときに転んだら擦りむくだろう。そうなると先生の責任になる。

このような子供は家庭もだらしないので、親にいっても改善はされないし、むしろグレて子供がダメになってしまうことすらある。

教育は人間を教育するので、教育する人(先生)を生徒が尊敬している状態でなければ教育はできない。だからこの題目も「先生のおっしゃる」という敬語を使っている。家庭で「先生が言うこと」と教えていたら、やはり教育は無理である。

こんな当然なことも専門家もメディアも言うことができない。「先生が悪い」、「どんな理由があってもけがをさせてはいけない」というと、教育に意欲のある先生は居なくなる。それは親の希望だろうか?

「悪いことは叱ってもらいたいが、体罰は・・・」と言うけれど、「叱っても聞かないから体罰(殴る蹴るではない)」になる。「叱っても聞かない子供をどうするか」が問題で、その子供だけに教育のチャンスを与える訳にはいかないのだ(暴れる子供に時間を使うとその間、勉強したい子供は教育をされないから)。

浅い教育議論は日本の教育をダメにする。親は事実をしっかり見てもらわなければならず、教育関係者は勇気を持って事実を話さなければならず、コメンテーターやメディアは事実を調べ、両方の言い分をしっかり聞いて報道をしてもらいたい。

(平成27312日)