福島原発事故ぐらい、日本の知識人が事件を機にその人の人格を暴露したようなことはなかっただろう。いや、同じようなことが戦争直後に起こったらしい。私はそのとき幼児だったので、実際にはよく分からなかったが、戦争中はあれほど「一億玉砕」と徹底抗戦を叫んで、多くの人を戦場に送った知識人の多くが、今度はパージを恐れて、コロッとアメリカ軍の方に寝返った。

漫画の脚色で有名な辻さんは、そのとき多感な中学生だったが、「普段、偉そうなことを言っている大人ほど信用できない」と感じたらしく、「大人は信じちゃいけない」という随筆を書いておられる。心の底からガッカリされたのだろう。

原発事故前後に、多くの人の態度や意見に遭遇した私は戦後の辻さんと同じ感想を持った。福島原発事故を境に変身した人たちの中で、その程度がもっとも大きかったのがマスコミ、第二に被曝の専門家、そして第三以下にテレビのコメンテーターや一般の知識人、それに政治家など普段からいい加減な人たちだった。

事故前、被曝に関するマスコミの報道態度は「たとえ規制値の100分の1でも放射性物質を生活の中に放出するなど、考えられないことだ!」ということだった。特にこの報道の先鋒を担ったのが朝日新聞で、原発からのわずかな放射線漏れ(たとえば規制値の1万分の1程度)に対して厳しく糾弾した朝日新聞が、福島原発事故のあとほどなくして(記憶では数ヶ月)、囲み記事で「規制値の100倍まで大丈夫。騒ぎすぎだ」と強調した。

放射性漏れが安全な状態のときには「安全なのに危険」と言い、実際に放射線量が危険なレベルに達すると「危険だけれど安全」と言う。つまり、朝日新聞を読んで自分の身を守ろうということは絶対にできない報道をした。

朝日新聞やNHKが事故直後は、きわめて重大な事故と報道し、「11ミリが被曝限度」と言っていたにもかかわらず、数日後には「重大ではない」とか「被曝限度は決まっていない」などと報道態度を急変した裏には、自らの判断と言うより政府などの要請があったと考えるのが妥当であるが、そのいきさつは全く報道されていない。

見かけとしては人格も高く、知識もある「偉い人」が、こんなに急に変わるのはどういう理由だろうか? 私が心の中をのぞいたのではないけれど、おそらく「君たちは子供だ。大人というのはそのとき状態で態度を変えるのが大人だ」と言うだろう。そうして「福島の現状をみれば、これまでのように放射性物質が怖いと言っていても仕方がない。一か八か、大丈夫ということでやるしかないじゃないか」ということと思う。

自分の子供が福島にいないと言うことも一つの理由になっている。つまり、「正義を守る」とか「誠意ある言動」を貫くのはとても困難で、普段の生活ではごまかすことはいくらでもできる。だから、普段は誠意ある人に見えるのだが、それは「自分が損をしない範囲で誠意を守ることができる」という条件付きに過ぎないのだ。

私はこのようなことを考えるときにはいつもベトナムのアメリカ兵士を思い出す。ベトナムで無抵抗な市民を銃殺した兵士が「上司の命令だから仕方がなかった」と言ったとき、誰かが「市民を打つなら、君を打てば良いじゃないか。打たれて辛いのはベトナム市民も君も同じはずだ」というのを読んだことがあり、とてもショックだった。

他人のことを自分のこととして理解し、言動を選択できる人になりたいものである。

(平成2737日)