先回に整理したようにイスラム教は中間管理職がいませんので、その教義の中にお金のことや、男女のことのように「日常的生活」まで含まれています。そうなると、教義と政治や法律の決まりがどのように関係するかが難しくなります。

もしある国の人が全員、イスラム教の信者(ムスリム)であれば、法律もそれにそって決めれば良いのですが、普通の場合は国民は全員、同じ宗教ではありません。だから、イスラム教徒が多い国では、政治と宗教が不可分のように見えるけれど、同一にならないように苦労しているというのが現状です。

そこで、イスラム教の指導者(僧侶ではなく学者で、信徒に変わって礼拝をするとか、信徒に宗教上の癒やし、資格、お札などを発行することはできない)が、大統領と並んでいるように見えます。でも、そこはなんとなく合意をとりながら進めるという方法をとっています。

このことが日本人にわかりにくいのは、もともと日本で「政教分離」というと、厳密に政治や行事に特定の宗教を入れないとまじめに考えていますが、実は世界でそれほど厳密に政教分離をしている国はありません。

たとえばアメリカでは大統領の就任式で聖書に手を置きながら宣誓するということが行われ、明らかにキリスト教と政治が分離していません。日本でこれが非難されないのは、日本人にコンプレックスがあり、日本人が特定の宗教を政治に入れるのは問題だが、アメリカは日本のご主人だから批判しないという論理です。

ともかく、政治と宗教の関係はアメリカぐらいが標準で、これで政教分離と言っています。つまり、政治でも生活でもある程度、宗教上の行事的なものが必要な場合は、その国の多くの人が信じている宗教を仮に使うのが普通です。だから日本の場合は神道が元々宗教色が少ないこともありますから、日本社会で集団的な行為をするときに宗教的な色合いを出す必要があれば神道を使うのは適当と考えられます。

しかし、キリスト教国でもイスラム教国でも、厳密に「政教分離」を実施している国があります。それがフランスとトルコです。きわめて厳密に「政教分離」をすると、宗教団体をバックに持つ政治団体は許されず、宗教上で求められる衣装や十字架なども公的な場所では認められません。

そうなるといつも問題になるフランスでイスラム教の女性が髪を隠す布を使うと公的な場所では許されないことになり、これも公的な場所では十字架などの宗教上の印を掲げるのは禁止されます。すっきりして良いのですが、自分の信条に反してヴェールを外したり、うっかり市役所で十字を切ったりしてはいけないことになりますので、かなり窮屈です。

それに社会全体で宗教をやや軽んじることや、信者の方の心を忖度しないようになるので、教祖を揶揄する漫画を掲載したりして騒動が起こりがちです。自分が自由を尊重して、「何をやっても良い」と思っても、相手は許せないということがありますので、多くの国がとっている方法「基本的には政教分離だが、共通の宗教儀式があるときにはその国のもっとも受け入れやすい宗教の方式で行い、あまり厳密にしない」というぐらいが紛争の少ない方法のようです。

(平成27226日)