数年前からテレビで盛んに「私にも何ができますか?」ということを言う人が増えてきた。この言葉は民主主義を壊すもので、私は教育者としてあまり勧められない。

民主主義は国民が主人で、「最も大切なことを国民が決める」というのが制度そのものだから、対象が何にしろ、「私にも何ができますか?」と聞かれれば「あなたが首相です」と答えるのが正しい。

先日のニュースで「花粉報道」の解説をしたが、番組全体は「どうしたら花粉症を軽減するか、私に何ができますか?」という普通の内容(テレビ局としての問題はない)だった。私はそこでこっそりと「スギを切ったら良い」と言った。これを大きな声で言わなかったのは、視聴者がすっかり「私は小さな人間で、政府がやるようなことはできない」と決めてかかっているからテレビでは限界があるから、ある意味でしかたがない。

番組ではスギ花粉の問題は戦後、スギを植えたからということと、スギ花粉がある一定量を超えたので大人ばかりか子供もアレルギーになるだけの抗原があるという医師の話を紹介していた。・・・だからしょうがない・・・という前提で防御方法を紹介している。

でも、スギ花粉症はすでに20年以上前から始まっている。それは戦後に植林したスギやヒノキが伐採の時期を迎え、それでも伐採されないので、最後の悲鳴として自分の子孫を残そうと花粉を空に向かって放っているという状況である。

日本の木材が国際的な競争力を失ったのは、もっぱら林野庁の失政による。このことはとても複雑なので、またの機会に譲るとして、日本とほぼ同じ地形と所得の北欧三国の木材業が立派に成立していることだけを指摘しておきたい。

その結果、日本の森林は伐採しても赤字になるだけになって放置されてしまった。それに輪をかけたのが「自然保護運動」で、「自然を保護する」と言いながら、「自然とはなにか」をまったく知らないか、無視した運動だったので、さらに日本の自然は痛んでしまった。

その一つの現象が花粉症だから、日本のスギやヒノキを計画的に伐採しておけば、花粉症は10年ほど前には終わっていた。花粉症というのはスギの花粉が少しでも出たらなるという病気ではなく、ある濃度を超えた場合に出る。だからスギを少しでも伐採すれば花粉症になる人は激減する。それもやらずに花粉症対策だけをしている理由は何だろうか?

私がテレビで「それは政府が政策を決めてスギを伐採すれば良いのですよ」というと、テレビ局の方は「視聴者は政治の力は持っていませんから」といい、コメンテーターは「樹木を伐採してはいけない」と視聴者のご機嫌をとる。だれも日本が民主主義であるとか、人工林は定期的に伐採が必要であるという事実を言わない。

そして「私にもできること」といことで「マスクする、洗濯物をはたく」と言うことが毎回放送される。でも私たちができることの第一は「政治を動かすこと」であり、それによって「根本的な原因を除くこと」であることは間違いない。

それを心理的に押さえる言葉が「私にもできること」である、実に国民を馬鹿にした言葉だ。「私にも」というのはあなたは一介の日本人で政治家でも何でもない、だからあなたにできることはせめてゴミを分別するとか、電気をこまめに消すとか、マスクをすると言うことで、ゴミを処理するシステム、発電所を作って先進国並みの電気が使えるようにするとか、さらにはスギを切って森林を有効に使うなどということは私たちが考えることではないと言っているに過ぎない。

これでは地方政治の選挙の投票率が30%になり、国政ですら50%になるのは当然でもある。毎日「私にもできること」といって政治への参加を求めないのだから。

(平成27225日)