ちょっと軽いお話ですが、最近、「水を飲め、水を飲め」と言われます。もともとペットボトルが流行しない前は水を飲もうにも水道がそこら中にあるわけでもないので、のどが渇いたら水を飲むという普通の状態でしたが、最近ではのどが渇いていなくても、「飲まなければならない」という恐怖心でついペットボトルに手が伸びるということが多くなりました。

「2リットル健康法」というのがあって、一日、何が何でも水は2リットル必要だというのも出てきました。仮に「体が水を必要としたらノドが渇く」という生物本来の機能が失われているとして、一日2リットルの水をとらなければならないとすると、普通の生活では食事に0.8リットルの水が含まれていますし、3度の食事の時に、お茶を一杯飲むとすると、それが約0.5リットルになりますから合計1.3リットルは食事とともにとっていることになります。

また、これもごく普通の場合、食事と食事の間や夜に仕事が一段落してお茶やコーヒーを飲んでホッとしますから、これでまた0.5リットル、ここまでで合計1.8リットルになり、「2リットル健康法」というのは、一日に一回、食事と10時、3時の休憩以外に「コップいっぱいの水か飲み物をとること」ということになります。

そうなると500CC、つまり0.5リットルのペットボトルを一本、飲んだら「水の飲み過ぎ」になってしまいます。

人間の体は自分自身で必要な水が体内にあるように調整ができるようになっていて、それは生命維持の基本中の基本ですから、のどの渇きは最も我慢できないものの一つになっているのです。だから「健康で普通の人」ならのどが渇いていないのに水を飲まなければならないという強迫観念を持つこと自体が不健康のもとと考えられます。

過剰な水を摂取すると、胃の消化系や腎臓などに過度の負担をかけることになり、良心的で経験の深い医師にお聞きすると、「あまり極端にノドが乾かないようにした方がよいですね」とか「お酒を飲んだときにはオシッコが多く出るので、少し水分を補給した方がよい」と言われるぐらいです。

お酒を飲むとしばらくしてノドが乾きます。だからそのときに自然に水を飲みますから、お酒を飲んでいるときに脇に水を置いて飲んでいる人は「大脳過剰支配」ではないかと逆に心配してしまいます。

何事も人間、特に自然に接していない人間が大脳支配が強すぎて、頭は自然より優れていると考えるところに間違いが起こるような気がしています。(この記事は、先日、経験深い日本でも有数の医師と対談した時に話が出たものです。)

(平成27219日)