「寛容でなければいけない」とアメリカと日本の首脳が時を同じくして発言しだした。「貧富の差の拡大」と「非寛容な価値観」というのは現代の特徴だろう。

どんなに力の差があっても、努力に違いがあっても、人が仕事に対する報酬として許されるのは10倍の範囲だろう。人はほぼ同じような食事と、同じような住環境のもとで集団生活をするのが適切であることは多くの人が同意する。実際にはサボりの人もいるので、10倍ぐらいの範囲で報酬に差があるのは良いのではないかと思う。

でも、年収300万以下の人が何10%もいるのに、自動車会社の社長が10億を越えるというのはまったく歪んだ社会と言わざるをえない。格差の拡大とその評価が今年の一つの焦点になると思う。

また、もう一つのテーマ、「非寛容」は言葉としては良いが、少し引っかかる。というのは「人間の知恵」というのは「自分が間違っているのではないか」と疑い、他人の意見を聞き、自分の考えを修正することが「大知」であり、「人間の知恵」だからだ。それは非寛容とは少し違うと思う。

「寛容である」というのは「知恵が至らないので、上から目線で許す」というニュアンスを含んでいるので、少なくとも民主主義の思想とは相反する。

1)   自分の考えと違うとバッシングする人は知恵のない人であることは間違いない、

2)   自分より弱いものには厳しく、強いものには従うのも尊敬できない、
(私のブログでは、わずかな放射性物質を取り扱ったという理由で14歳の少年は逮捕され、膨大な放射性物質を出した東京電力の役員は「無理からぬこと」という理由で訴追されないという事実など多数)

3)   自分の考えと他人の考えが違う時に、どちらが正しいかを自分で決めることができないという判断力こそが知恵である、

4)   自分の考えと他人の考えが違う時、その二つを取り込み、さらに上位の判断を身に付けるのが知恵というものだ。

とりあえずは、格差の縮小、寛容な社会というキャッチフレーズであまりに歪んだ社会を修正するところから始まるとは思うが、やはり、最終的には人間の尊重、人の考えを認める知恵というところまで行きたいものです。

そうすれば男女関係でも離婚がへるでしょう。

(平成27211日)