江戸時代にある殿様が「人間より犬が大切だ」と思って、犬を座布団に座らせ、犬をいじめる人を打ち首にしたという話を聞いたことがあります(部分的に史実であるが、あまりそれにはこだわりたくないので)。こんな話は実に馬鹿らしいのですが、その現代版が白昼堂々と行われています。

その一つが「エコカー」です。もともとエコカーというものがどういうものかわかりませんが、マスコミだけは知っているようです。もしかすると「燃料消費量が

少ない」という車をエコカーと呼んでいるのかも知りませんが、「資源を少なく使う」ということでは、軽自動車がもっともエコであることは誰もが認めるところでしょう。

もし「同じ乗り心地で、燃焼消費量が少ないクルマ」ということになると、ハイブリッドですが、「石油以外の貴重な資源を少なく使っている」という意味では1500から2000CCクラスのガソリン自動車でしょう。

また車重の大きな車は道路を痛めて、道路補修の頻度が高くなりますので、アスファルト(石油)の消費量も増えます。なにがいったい「エコ」なのでしょうか?

でも、ここで書くのは「エコ」と「人生の時間」の関係です。かつてのように「エコ」というのが「他の生物も含めて他に迷惑をかけない生活」という点では、自動車の燃料になる化石資源は1万年近くありますし、鉄などの資源もすぐなくなるということはありませんから、それより100年以内に尽きてしまう人間の寿命の方が大切に決まっています。

まして、アメリカや中国というエネルギー消費国をはじめとして世界のどこの国も省エネをやっていないのに、さらに日本に石油資源はないのに、自分の人生や楽しみを犠牲にして「エコ」などという必要は全くないように思います。

もともと「エコ」というのは使い道のない税金を官僚の天下りのために使っている工業製品のことをいうのであって、環境や資源とは関係はありません。もちろん、「二酸化炭素が増えた状態」は「未来」ではなく、「過去」に戻ることですから、温暖化という問題ももともとないということになります。

それにしても、人間より「石油」が大切とばかりに石油が座布団に座っていて、「省エネが大切だから、好きな車に乗ってはいけない。エアコンの設定温度を高くして、暑いのも我慢しろっ!」と叫んでいる環境派の親父さんはまるで江戸時代の殿様を見るようです。

かつてどこかの首相が「コンクリートから人へ」と言ったのにはビックリしました。まずは「コンクリートと人を比較するの?」と思いましたし、「あの人、御殿に住んでいるのに」とも思いました。

歪んだ思想・・・まさに仮装時代、うざい時代の日本社会には「エコカー」をマスコミが繰り返すのは世相そのものと思います。何も考えず、二枚舌で、細野現象の人がもてはやされ、「まともな人」と言われる所以でしょう。

結局、エコカーに税金を出すというのは、「自由に車を選ぶ自由」を奪う(エコカー減税や補助金のでる車を買わないと税金を他人に使われる)行為で、「実質的に憲法で保証された自由」が奪われることになり、それこそ誰か「党の中央」が正しいことを決めて国民に強制するという共産主義思想そのもののように感じられます。

(平成2722日)