福島原発の事故が起こる前、日本は「法治国家」だったから、危険なものは法律で制限が掛かっていた。排水中の水銀濃度、大気中へ放出することができる亜硫酸ガス(二酸化硫黄)、食品中に存在しても良い毒物の限界など人間に危害を及ぼすと思われるものは厳重に法律で決まっていた。

そしてそれを守る遵法精神も日本の誇るべき事の一つだった。私たちが時に中国を批判するとき、「彼らはルールを守らないから」という。日本の産業界もプライドがあって、お金儲けに熱心なのはビジネスマンとして当然であるが、同時に「反社会的なことはしない。法律は守る。守れない時には罰せられても良い」という覚悟があった。

しかし、原発事故以来、それは脆くも崩れた。長く日本に住み、日本人にプライドを持っていた私は衝撃を受け、なんとか誠実な日本人、遵法精神に満ちた日本社会を取り戻してもらいたいと願ったが、事態はどんどん反対側に進む。

福島原発事故では、大量の放射性物質が大気中に漏れた。もちろん法律違反である。さらに、土壌は基準を超え、原発のガレキは懲役刑があった1キロ100ベクレルを超えた。人に対する被爆指針である11ミリシーベルトは守られず、むしろ法律や基準を強調する私のような人が社会からバッシングされ、発信の機会を失うという状態だった。

原発事故の直後は、まだ「パニックになるから」とか「非常事態だから」という超法規的な発言もあったが、原発事故から4年を経て、それらの制限はない。そして原発を再開しようとしているが、もし再開されたら、「危険なものの基準がない産業」が日本に誕生する。それは明治以来、営々として築いてきた日本の工業技術の恥である。

よほど野蛮な国の工業なら別だが、儲かればどんなに毒物を流しても良いなどという産業は日本には存在できない。もし原発が再開されるとき、大気への放出、排水や海への放出、土壌汚染、食品汚染、がれき汚染、そして最終的な人への被曝限度・・・すべては決まっていないままに再開しようとしている。

「金のためにはなんでもやる」という技術者が原子力や産業界にこれほど多いとは私は思わなかった。技術者の方、目を覚ましてください! 原子力が重要ならなおさら放射線関係の規制は大切です。

(平成27131日)