イスラム国に囚われた二人の日本人に悲劇が訪れたとの報道がある。まだ事実ははっきりしないが、ここで、論評を加えておきたい。
結論からいうと、「日本は日本国憲法の思想に戻り、世界に憲法の思想と私たち日本人の信念を訴えるチャンス」と言える。「悲劇の連鎖=小さな悲劇がだんだん、大きくなり、恨みも増え、さらに大量の悲劇を生む」を断ち切り、悲劇の根元を根絶することこそ、今回の悲劇の犠牲者に対する私たちの責務である。
憲法は前文で「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と述べ、本文で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とある。
この全文と本文をそのまま素直に読んで、その通りの行動をすることが求められていると思う。つまり、第一に「戦争や武力による威嚇は永久に放棄する」ということであり、それを「国際社会に訴えて名誉ある地位を占める」ということだ。
イラクとシリアの混乱は、フランスが1920年に武力でシリアを植民地にしたのに始まり、それから継続して欧米の武力の下でイラクとシリアは「隷従と圧迫」を強いられてきた。そして近年のイラク戦争では、アメリカが国連決議にも反し、ウソの開戦理由(大量破壊兵器の存在)を構えて戦争を行い、残念ながら日本も自衛隊を派遣した。
さらに昨年にはアメリカ空軍がほぼ地球の裏側までいって、イスラム国を空爆し6000人を殺害した。もちろんイラク戦争でも昨年の爆撃でも多数の民間人が犠牲になっている。
このような「恨みの連鎖」こそが戦争拡大、生命喪失に繋がるからこそ、武力による威嚇と行使を放棄したのである。この精神は、他国が武力を使っているとき、双方に非協力的な態度をとるということであり、それを世界に向かって高らかに宣言するのに絶好の機会である。
欧米の思想は「自らが「正義」を決め、その正義と反するものは武力で成敗する」ということだが、まさにその思想によって私たちの父母は戦地や国土で命を落としたのである。戦争当時、日本人もまた「みずから正しいと思えば武力に訴えても良い」と考えた。もちろん軍部だけではなく、それは現在でも続いていて、時として「イスラムは悪いから武力で罰しても良い。アメリカに協力する。」という考えが日本の大勢だと思う。
しかし、それでは永久に平和は来ないし、今回のような犠牲をなくすこともできない。それこそが憲法の精神である。憲法に立ち返ろう!
(平成27年2月1日)