これほどの間違いだから、ここで科学の心として間違いを指摘するほどもないように思いますが、日本中が静かにしていますので、確認までに「水素はエネルギー資源ではない」ことを示しておきたいと思います。著しい細野現象とも言えます。
エネルギー資源とは、石油のように「空気中などで燃やせばエネルギーを取り出すことができる」というようなもので、それ自体がエネルギーとしての価値のある資源をいいます。だから「資源があれば安心だ」ということになります。
一方、「電気」は「エネルギー資源」ではなく、「エネルギーの形を変えたもの」で、普通は「エネルギーの運搬手段」として使われます。つまり、「電気」というエネルギー資源を持っている国があるわけではなく、石油などから発電所で電気を起こし、それを「銅線」などを使って家庭などに送ると、エネルギーとして使用できるというものです。
だから「電気社会が来るから日本はエネルギーは大丈夫だ」などと誰も言うことはありません。
「水素」というのは「電気」と同じで、エネルギー資源ではなく、「エネルギーを他の種類のエネルギーに変えたもの」、あるいは「エネルギーを運搬するもの」です。エネルギーとなる水素自体は地球上にはなく、水素は石油や水の中にあります。
電気で言えば発電所のようなところで、水素を取り出し、電気なら銅線で送るのですが、その代わりにパイプを使って送り、使用するところで空気中の酸素と結合して使用します。電気は使用しても何も出ませんが、水素は水がでます。
「水素社会が来る」というのは「電気社会が来る」というのと同じですから、「水素社会が来るからエネルギー資源がない日本は助かる」というのは、「電気社会が来るからエネルギー資源がない日本は助かる」というのと同じですので、だれでも中学校ぐらいを卒業していれば、水素社会が来るから大丈夫などということは言わないでしょう。
また「水素自動車は水しか出さない究極のエコ」と言いますが、でも中学校で理科を勉強している日本人ですから、これほど馬鹿らしいことはいう人はいません。電気自動車は何も出さないのですし、水素をもやした時にはでませんが、水素製造工場では多くのガスが発生します。
電気、水素、シクロヘキサンのようなものはいずれもエネルギーの運搬として使われますが、今までは電気がもっとも効率がよく安全なので電気を使ってきました。もし水素社会が来ると言うなら、電気に対して水素がなぜ有利なのかを示す必要があります。特に、地方自治体が税金を使って水素を推進するということになると、少なくとも中学校の理科に反しないようなことを言わないと、まるで「裸の王様」がうようよ生まれてきたみたいで気持ち悪い感じがします。
(平成27年1月22日)