民主党の代表選挙の討論で、細野さんが「どこの政党とも一緒にならない」という旨の発言をしたら、岡田さんが「選挙前に維新の会などと合併しようとしたではないか」と言い、「政治家はいつも同じことを言わなければならない」とした。これに対して、細野氏は「維新の会が大阪を分離すると言ったから」ということと、「政治家同士の話をこのような公の場所で話すとはなにか」という趣旨の発言をした。

なかなか、面白い。これをメディアは「代表選のゴタゴタ」と言っていたが、わたしは本質的と思う。細野さんが従来型の民主党的考え方で、「その場その場で都合の良いことをいうのが政治だ」というスタンスで、選挙前には沖縄の基地では「少なくとも県外、できれば国外」と言って選挙が終われば何もしない、その他、選挙前は減税、選挙後は増税という具合だった。

科学も同じで、かつての科学者は「みずからの学問的信念に基づいて発言する」とうのが当たり前だったが、最近では、講義では「水はエネルギーではない」と教え、日経新聞には「自動車は水で走る」という大学教授が出現した。

「科学の細野化」とも言えるだろうが、かつて「温暖化しないのではないか」と委員会で私が発言したのに対して、「武田さん、温暖化するかしないかなどどうでも良いのですよ。それでお金が回るのだから」といった東工大の先生(工学)を思い出す。

水はエネルギーがもっとも安定(低い)なものなので、エネルギーではない。水素分子は地球上にないのでエネルギー資源ではなく、石油から作るから電気と同じ、エネルギーの運搬ができるものである。

科学は憲法で「学問の自由」が認められていて存在できる。科学は時に、その時代の権力や利権と異なるので、学問の自由で守ってもらわないと潰れてしまう。でも、このところ、リサイクルから始まって温暖化、果ては水素社会まで、大学で教えていることと正反対のことを話す、「細野現象」が進んできた。

事実と違うことを報道するのを朝日新聞の度重なる誤報にちなんで「朝日る」といったが、その場その場で都合のよいことをいうのを「細野る」というのだろう。

(平成27112日)