コーカサス山脈の北の草原地帯から移動を始めたアーリア人は、もともとその地方に住む人たちを力で追い出して、住み着いた。そう言っても抽象的でわかりにくいので、私たち日本人になじみやすいギリシャや現在は紛争ばかりしているシリアあたりの例で「実際の様子」を知っておきたい。

紀元前2000年ごろにアーリア人たちが第一次の移動を開始する。その一部が現在のルーマニア・ブルガリアを経てギリシャに乱入する。いくら紀元前2000年といってもすでにルーマニア・ブルガリアにもギリシャにも人が住んでいて、その人たちを蹴散らしてギリシャに入った。その人たちの名前は「アーリア系アカイヤ人」という名前が付いている。

またその時にブルガリア辺に住んでいた人は仕方なく南に押し出され、エーゲ海に浮かぶ海に漂うことになり、それを「海の民」と呼んでいる。

それが紀元前2000年だったから、そこで一応、ギリシャにはアカイヤ人、エーゲ海には海の民が住み始め、それから800年は平穏だった。

ところが、紀元前1200年になると、再びコーカサス山脈の北の草原地帯からアーリア人が動き始め、四方八方に散らばるが、その一部がまたルーマニア・ブルガリアを通ってギリシャに乱入した。つまりすでに800年前に自分たちがギリシャに乱入したのに、また800年たって乱入したのだった。

でも、アーリア人というのは実に獰猛なので、同じ種族であることなど問題にしない。「すぐ立退っ!どかなければ奴隷だっ!さもなくば殺すぞ」とばかりに鉄器の武器を持って侵入してくるのだからたまらない。たまらず同じアーリア系のアカイヤ人(図では茶色)は海に押し出され、ギリシャにはアーリア系ドーリア人(赤)が住み着く。これが後のギリシャ人だから、戦争好きで、アテネとスパルタの戦争のように戦争ばかりしている。

ところで、ギリシャにいたアカイヤ人はエーゲ海にでて、そこに住んでいる海の民を押し出し、海の民(青)はたまらずトルコとシリアに逃げ込み、そこにいたフェニキア人(緑)がたまらずシドンからティルスに逃げ、ティルスからさらにカルタゴへと逃げていった。

つまりアーリア人というのは人の土地に入るときに、挨拶も交渉も何もせずにただ「どかなければ殺すっ!」といって侵入してくる。何しろ荒くれ者の集団だから逃げるか奴隷の二つしかなく、大半は散り散りに逃げた。その一例がギリシャなのである。もちろんその時にローマの方に行ったアーリア人がローマ人となり、カルタゴに逃げたフェニキア人とその後、激しい戦いになり、カルタゴは滅亡する。

アーリア人のこの侵略の仕方は、その後、ずっと続き、後に全世界に植民地を展開し、アメリカが膨張し、アーリア人同士の宗教戦争へと発展している。だから、現代を知るためには、また侵略という意味を知るためには、紀元前2000年からずっと続いてきたアーリア人独特の侵略の仕方をまずは学んでおく必要がある。

(平成27122日)