七つの海を支配したイギリス東洋艦隊は日本軍の航空機攻撃であっけなく壊滅した。当時、戦艦の脅威になる航空機攻撃は九六式陸攻のような水平爆撃機ではなく、雷撃機や急降下爆撃機だから、航続距離はせいぜい350キロしかない。

シンガポールの近くに基地を持たない日本軍が戦艦を撃沈させるほどの攻撃はできないと思っていたし、イギリス軍司令部にはすでに真珠湾攻撃の報が入っていたが、

「東洋の小国のオンボロ飛行機で真珠湾のアメリカ軍をやっつけるはずはない。あれはドイツ空軍がパイロットを乗せ日の丸をつけてやったのだ」

と話していたと記録されている。アジア人が航空機を操縦でいるはずもなく、まして白人をやっつけることなどあり得るはずもないと信じていたのだった。

イギリスのチャーチル首相も、イギリス旗艦の沈没の報を受け、艦長は救助の士官に”No thank you”と言って艦と運命を共にしたことを知って、「生涯で、かくも大きな痛手を受けたことはなかった」と慨嘆した。

チャーチル回顧録には、この両艦のシンガポール派遣について「私がシンガポールにプリンス・オブ・ウェールズを派遣するよう主張したのは、まるで「羊を殺させに行かせたような」ものだった。私はその報に接した時に部屋で一人であることに感謝した。この広大な海で日本は強力で、我々はどこでも、弱く無防備であった。」と述懐している。

その後、チャーチルは気を取り直し、その日の内に議会で報告した。ラジオはイギリス全土に放送し、新聞もその日の夕刊に一面トップでマレー沖の奇跡を報道した。一方、ドイツは自分たちがソ連に攻め込んだのに日本が参戦してくれないので、イライラしていた。だからこの2隻の戦艦の撃沈は大いにドイツを勇気づけた。

しかしヨーロッパ人は執念深い。プリンス・オブ・ウェールズが撃沈されてから7年後、戦争が終わってから3年後の1948年。日本水泳の古橋、橋爪が揃って未公認世界新記録を出したのを知って、イギリスは二人のロンドン・オリンピックへの参加を認めなかった。その時の通達の最後には「われわれはプリンス・オブ・ウェールズを忘れない」とあった。

私たちも原爆を落とされた「広島・長崎を忘れない」なら、アメリカを拒否しなければならない。日本人のあっさりしたところ、自虐性と、イギリス人の粘っこさの違いだろう。しかもプリンス・オブ・ウェールズは正規の戦闘で敗北したのに対して、広島・長崎は一般市民を殺戮する目的で行われたものだ。それを日本人が「過ちは二度と繰り返しません」と主語のない意味不明の牌を建てていることに私たちはよくその世界的な意味を考えなければならない。

また日本人がマレー作戦、プリンス・オブ・ウェールズの撃沈を知らないのは占領軍、連合軍の戦後の教育にあるが、正しい歴史認識を持つためには、日本にとって敗北だけではなく、意味のある勝利も知らなければならないのは当然でもあり、さらにそれをアメリカやイギリスが隠したい気持ちも理解しておく必要がある。

余談だが、このマレー沖の奇跡の立役者の一人、イギリス東洋艦の発見を打電した帆足少尉は翌年3月台湾沖で戦死した。戦場での原則は「生きるか死ぬかではない。何時で死ぬかだ」と少尉は言ってたというけれど、まさに戦争とはそういうものである。

(平成261230日のちに修正)

最期の一撃 第七話 プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の衝撃

七つの海を支配したイギリス東洋艦隊は日本軍の航空機攻撃であっけなく壊滅した。当時、戦艦の脅威になる航空機攻撃は九六式陸攻のような水平爆撃機ではなく、雷撃機や急降下爆撃機だから、航続距離はせいぜい350キロしかない。

シンガポールの近くに基地を持たない日本軍が戦艦を撃沈させるほどの攻撃はできないと思っていたし、イギリス軍司令部にはすでに真珠湾攻撃の報が入っていたが、

「東洋の小国のオンボロ飛行機で真珠湾のアメリカ軍をやっつけるはずはない。あれはドイツ空軍がパイロットを乗せ日の丸をつけてやったのだ」

と話していたと記録されている。アジア人が航空機を操縦でいるはずもなく、まして白人をやっつけることなどあり得るはずもないと信じていたのだった。

イギリスのチャーチル首相も、イギリス旗艦の沈没の報を受け、艦長は救助の士官に”No thank you”と言って艦と運命を共にしたことを知って、「生涯で、かくも大きな痛手を受けたことはなかった」と慨嘆した。

チャーチル回顧録には、この両艦のシンガポール派遣について「私がシンガポールにプリンス・オブ・ウェールズを派遣するよう主張したのは、まるで「羊を殺させに行かせたような」ものだった。私はその報に接した時に部屋で一人であることに感謝した。この広大な海で日本は強力で、我々はどこでも、弱く無防備であった。」と述懐している。

その後、チャーチルは気を取り直し、その日の内に議会で報告した。ラジオはイギリス全土に放送し、新聞もその日の夕刊に一面トップでマレー沖の奇跡を報道した。一方、ドイツは自分たちがソ連に攻め込んだのに日本が参戦してくれないので、イライラしていた。だからこの2隻の戦艦の撃沈は大いにドイツを勇気づけた。

しかしヨーロッパ人は執念深い。プリンス・オブ・ウェールズが撃沈されてから7年後、戦争が終わってから3年後の1948年。日本水泳の古橋、橋爪が揃って未公認世界新記録を出したのを知って、イギリスは二人のロンドン・オリンピックへの参加を認めなかった。その時の通達の最後には「われわれはプリンス・オブ・ウェールズを忘れない」とあった。

私たちも原爆を落とされた「広島・長崎を忘れない」なら、アメリカを拒否しなければならない。日本人のあっさりしたところ、自虐性と、イギリス人の粘っこさの違いだろう。しかもプリンス・オブ・ウェールズは正規の戦闘で敗北したのに対して、広島・長崎は一般市民を殺戮する目的で行われたものだ。それを日本人が「過ちは二度と繰り返しません」と主語のない意味不明の牌を建てていることに私たちはよくその世界的な意味を考えなければならない。

また日本人がマレー作戦、プリンス・オブ・ウェールズの撃沈を知らないのは占領軍、連合軍の戦後の教育にあるが、正しい歴史認識を持つためには、日本にとって敗北だけではなく、意味のある勝利も知らなければならないのは当然でもあり、さらにそれをアメリカやイギリスが隠したい気持ちも理解しておく必要がある。

余談だが、このマレー沖の奇跡の立役者の一人、イギリス東洋艦の発見を打電した帆足少尉は翌年3月台湾沖で戦死した。戦場での原則は「生きるか死ぬかではない。何時で死ぬかだ」と少尉は言ってたというけれど、まさに戦争とはそういうものである。

(平成261230日のちに修正)