(日本の歴史教育ではほとんど触れないが、もっとも大切な記録)

コタバルで激戦が続いているとき、シンガポールの英軍司令部がレーダーで国籍不明機を発見し、直ちにシンガポールに灯火管制の命令を出したが、防空本部は留守で、おまけに変電所の係の軍人が鍵をもったまま外出していた。

大東亜戦争では日本が負けたので、負けた原因として、日本軍のダメさを強調した本が多いけれど、軍隊はそういう面もあって日本軍だけではない。

それはともかく、サイゴンから飛び立った海軍第22航空戦隊の九六式陸攻17機が、煌々と輝くシンガポールの街を空襲し、日本機は全機無傷で帰還した。すでにコタバルで激戦が行われ、シンガポールが空襲を受けているのだから、戦争が始まったことは明らかになったわけであるが、イギリス軍はそれをなかなか認めなかった。「認めない」ということこそがこのシリーズを執筆する意味であり、イギリス人が東洋人に対して何を思っていたかを示している。

イギリス東洋艦隊司令長官のフィリップス大将が旗艦「プリンス・オブ・ウエールズ」に幕僚を召集し、日本艦隊に奇襲をかけたいと言ったが、その時には既にイギリスの命運は尽きていた。

緒戦で日本軍が地上の英軍機を爆撃し、その日にはイギリス軍機は150機から50機に、更に翌日には10機に減り、プルフォード空軍司令官は出撃する東洋艦隊の援護ができない状態になっていた。

しかたなく、航空機の護衛なしに午後5時、Z部隊と言われた世界最強の旗艦プリンス・オブ・ウェールズ、戦艦レパルスを主力とする英東洋艦隊がシンガポールを出港した。日英の激突の火蓋は切って落とされたのだ。

日本軍はすでにアナンバス沖(シンガポールの東の海域)に機雷456個を敷設していたので、Z部隊は機雷を迂回して進撃した。この時点での日本軍航空隊の戦力は、九六式陸攻81機、一式陸攻27機、零式戦闘機27機、それに陸上偵察機9機だったので、仮にイギリス航空機150が無傷なら制空権は互角だったが、すでに10分の1になり制空権は完全に日本軍が握っていた。

午前1015分、三番索敵線を偵察していた帆足少尉機がZ部隊を発見。日本海海戦の信濃丸同様に歴史的電信を打つ。まさに日露戦争の時にバルチック艦隊を発見した信濃丸の電信と終をなす輝かしい日本軍の偵察だった。

「敵主力見ユ。北緯4度。東経10355分。針路60度。1145

日本の歴史、世界の歴史を考える上でもっとも大切な戦闘なので、この「最期の一撃」のシリーズの著述では唯一、戦闘の詳細を記述することにした。

1113分、美幌空(みほろくう。航空隊)5中隊8機が攻撃開始。Z部隊が毎分数千発を射撃できるポムポム砲で日本航空隊を攻撃、これに対して美幌空がレパレスに高度3千㍍から250キロ爆弾を投下。一発が第四砲塔に命中した。

1134分、元山空(げんざんくう。韓国に基地がある航空隊)12中隊が到着、8機がプリンス・オブ・ウェールズに魚雷攻撃を行い2発が命中し、艦は操艦の自由を失い、日本機も一機撃墜される。

1138分、2中隊7機が戦艦レパルスを攻撃。命中せず。

1157分、美幌空8中隊8機が到着。「レパルス」に魚雷攻撃。命中せず。

1220分、鹿屋空(かのやくう)123中隊26機が到着。6機がプリンス・オブ・ウェールズに魚雷攻撃。三本が命中。日本機2機撃墜。20機がレパルスを攻撃。五本が命中。左舷に30度傾き、艦長が退艦用意の命令を出す。3分後に沈没。

1243分、美幌空6中隊の武田攻撃隊の500キロ爆弾がプリンス・オブ・ウェールズの後部に命中。

1315分、イギリス旗艦ついに退艦命令。フィリップス提督、リーチ艦長は艦に残る。5分後に沈没。英駆逐艦三隻が沈没した生存者を救出。日本機はこれを妨害せず、戦場のルールを守った。

この戦いは世界史の史上でもっとも重要な戦いと私は思っている。たしかにローマとカルタゴの戦い、コンスタンチノーブル陥落、ワーテルローの戦いなど戦史に名高い戦いは多いが、プリンス・オブ・ウェールズの撃沈とそれに続くシンガポール攻略戦が、もっとも意味の大きい戦いだった。

それは「日本」を強調したいわけでもなく、私が日本人だからでもなく、また日本が勝利したからということでもない。世界史に記録されている戦闘の殆どは「アーリア人同士の内輪もめ」か、「アーリア人が他の民族を侵略した戦争」だけで、それが約4000年にわたって続いた。

彼らは地球全体を自分たちのものにしようと思っていたし、それは成功しそうな状態にもあった。でも、最終的にアーリア人の野望は成立しないということを全世界に知らせたのが、この大英帝国旗艦プリンス・オブ・ウェールズの撃沈であり、チャーチル首相はそれを感じて生涯でもっとも大きな精神的打撃を受けたのである。

このことは最期の一撃のシリーズで綿密に明らかにしていきたいと思う。その中で大東亜戦争、日本の軍部、そして日本人が何をしてきたのか、深い反省のもとではっきりさせていきたいと思っている。

(平成27111日)

(注)読者の方からのご指摘で、録音を聞き直しましたら、元山空は韓国ではなく北朝鮮でしたから、ここは朝鮮というべきでした。また美幌空は正しくはアイヌ語で「びぼろ」が正しいようです。