テロ事件に対するパリのデモはいろいろな点で私たちが平和というものを考える教材となりました。

まず第一には、表現の自由とは無制限のものなのかということで、「愛する人、尊敬する人を侮辱する自由」というのは「自由」の概念の中に存在できるのかという問題です。この問題はアメリカも含めて大きな議論になっています。

そして第二に、フランスは白人国家としてここ150年ほどにわたって有色人種の国を植民地として利権を貪り、その人たちに自由を与えなかったのに、なぜ自分たちだけの自由を主張するのかということです。「泥棒に盗むなとは言われたくない」とわたしは思うのです。その点で、白人の道徳というのは身内だけでまったく信用できないと思います。

第三には日本国内の問題ですが、日本の指導層、知識人がヨーロッパ文化にすっかり影響されて「ヨーロッパの言うことはすべて正しい」という前提を置いていることです。今回でも首相を始め、テレビの識者などもあまり疑問を挟んではいません。でもこの世界で「戦争の数」という点ではヨーロッパをはじめとしたアーリア民族(白人)が圧倒的に戦争を起こしていて、それが世界の災厄になっているのですから、平和を愛する日本としてはヨーロッパの思想の欠陥を指摘するべきです。

第四には、今回のデモで先頭に各国首脳が並んでいましたが、デモという表現の手段は「権力側も許される」のかということです。権力というのはいろいろな力を持っていて、別にデモという形に訴えなくても十分みずからの考えを実施できる立場にあります。わたしは今回のデモをみてナチスの行進を思い出しました。

そして最後に、日本のメディア、たとえばNHKなどは原発反対の国会デモほとんど報道せず、外国のデモは報道するという姿勢を貫いています。デモは本来は政府もダメでメディアもダメだから街頭を歩くという表現方法ですから、メディアがあまり重要ではない、もしくは取り上げたくないということを表現しています。表現の自由が大切なら、NHKは原発事故の後の国会周辺のデモを積極的に報道すべきでした。

このフランスのデモがなぜ「平和を守る」ということと強く関係しているか、さらに研究を重ねてみたいと思います。

(平成27115日)