最近、「英語教育が大切だ」と言われ、小学校から英語の教育が行われようとしている。教育が行われると、日本の場合、必然的に「試験」があるので、子供たちは嫌いでも好きでも英語を勉強しなければならない。
英語がなぜ必要かというと、国際化の時代だから英語を知らなければと言われる。でも「必要なもの」は英語だけではない。私などは物理の出身だから、「電気はとても大切」と思う。生活の面でも感電したり、火災になったりする原因の一つに女性が電気に弱いということがあるのを痛感している。
またオール電化、情報社会になってスマホをはじめとして電気の知識があることは日常生活ではとても大切なことと思う。多くの人にとって英語は海外旅行ぐらいしか必要がないが、電気は毎日の生活に欠かせないものだ。
しかし、私は電気がわからない若い女性に無理やり、電気を学ばせようとはしない。おそらくは脳の構造によると思うけれど、多くの女性は中学生か高校生の時に「電気がさっぱりわからなくなる」という時期が来る。私は女性、男性を区別しないが、女性は筋肉が弱い、女性は子供を産むことができるということと同じぐらい本質的なものに「電気がわからない」ということがあるような気がする。
数10年もすると脳構造が明らかになり、「女性の体には子宮があり、その反面、脳の中に電気を理解する領域がない」ということが明らかになるだろう。これは差別でもなんでもなく、私たちが生物であるということに他ならない。
私は電気のわからない女性に、無理やり電気を教え、試験をして、できなければ落とすということをしてこなかった。「電気が分からなければわからないで良い。それも個性だ」としてきた。もし私が無理やり「電気が分からなければ学校を卒業させない」としたら、学校に来る女性は減るだろう。
それと同じことが英語で起こっている。若い男性は語学が殊のほか弱い。特に電気や機械の男子学生は、電気、機械はよく理解するが、語学はとにかくダメで、嫌がる。そんな男子学生に「英語ができなければダメだ」というので、多くの学生がそこで学校が嫌いになる。文化系の女子学生に電気の勉強と合格点を強要するようなものだ。
それではなぜ「英語は勉強しろ、電気は出来なくても良い」ということになるのかというと教育のトップが英語ができて電気ができない人が多いからだ。数10年経つと、スマホで完全自動同時通訳ができるようになって、ポケットにスマホを入れておくだけで母国語を話すと同時に相手の言語が相手の耳に入るようになるのは目に見えている。
でもそれも理解されないだろう。「嫌なことを強制的にやらせる」というのが教育指導者の信念だからだ。私は教育者だが、その人が楽しい勉強をさせたほうが良い。万が一、どうしても英語を話さなければならない(ここ10年ぐらいだが)場合は通訳のお世話になれば良い。電気がわからなくても英語が得意という人はかならずいるからだ。
(平成27年1月8日)