かつて、私が若い頃の日本社会では「人の話をよく聴かない」というのは、決まって年配の男性だった。自信が強く、頑固で、自分が国会であり、裁判官だという意識があり、パターナリズム(家のことも自分が決める)という意識が強かったので、人の話を聞かなくてもさして困らなかったからだ。

ところが、最近、若い人が人の話をよく聴かなくなった。20年ほど前に学生と話をしていて気がついたのだが、それがだんだん、年齢が高くなって最近では40歳ぐらいまでの人、男女の区別なく、人の話を聴かない。

具体的なことはここでは省略するけれど、その原因は二つあるように思う。一つが「マニュアル人間」で、きわめて視野が狭く、「自分が言ったり、したりすることはこれだけだ」と決めてかかっていて、何を言っても同じ返事が返ってくるケースである。

もう一つが、「仲間人間」で、いつも仲間内だけで話をしているので、始めて会う人や年齢が違う人の言うことが理解できないタイプだ。こちらは正しく日本語で話しているつもりなので、「落ち着いてよく聞いてください」と言ってしまうことがある。「最初から話しますね」とか、「ゆっくり聞いてください」といっても、上の空で聞いている。おそらく私とあった瞬間に自分の頭の中に浮かんだ「この人はこういうはずだ」という直感から逃れることができないように見える。

それはちょうど、現在の日本を覆う錯覚、「タバコを吸うと肺がんになる」、「副流煙は危険だ」、「減塩食はヘルシーだ」、「脂っこいものは避ける」、「コラーゲンの食事をとるとお肌や関節に良い」、「石油は枯渇する」、「地球は温暖化している」、「大麻は麻薬だ」などと同じで、情報が多岐にわたり、悪い専門家がいて、短絡的な情報を流し、それを咀嚼できない社会の縮図でもあるように思う。

仲間内だけの暗号のような日本語、考えずにやることだけを教えてくれという人たち、環境の国家試験では未だにリサイクルが資源を節約できるという回答をしないと正解にならないというウソの世界・・・その中で若者は「俺たちの世界以外は知りたくない。知るとバッシングを受ける」とおびえているように見える。

日本は民主主義であり、言論の自由が保証されていて、さらに誠実で礼儀正しい日本文化という宝を持っている。でも、それもお上に類する大臣、高級官僚、東大教授、NHKなどが次々と破っていては若者が怯えるのも止むを得ないかも知れない。

基本的な道徳が守られず、村の中の小さな「モラル」というものが過度に強調されるなか、若者はまた怯えて社会から遠ざかろうとしているように感じる。

(平成26125日)