40歳を過ぎても結婚の決意がつかない女性がおられて、私に相談された。聞いてみると男性との付き合いはあるのだけれど、彼女も自己主張が強いこともあって、なかなか男性と長い間、楽しく付き合うのができない。だから「たまに会う」のなら良いけれど、「毎日、何年も顔を突き合わせる」というのは自信がないというのだ。

といって、やはり一人は寂しい。この寂しさは、人間が集団性のある動物であること(原則的に一人では生きていけない)、オス・メスが分かれている動物ではツガイが安定していること、の二つだから原理原則であってどうしようもない私たちの宿命だ。

だから、本来なら何も考えずに結婚し、何も考えずに子供を産み、何も考えずに餌をとって子供を育て、毎日を過ごすのだが、人間はどうしてもその時にも頭が動いてしまう。

このシリーズでは、争う夫婦、正しい夫婦という順序で夫婦というものを喧嘩を軸に整理をしてきたけれど、夫婦間の争いは、まさに夫婦の意味と表裏一体なのである。

夫婦は意見が違う。夫婦はやることが違う(子供を産むことや、家庭を支えること)。夫婦は体も性格も経験も、考え方もすべて違う。断定的に言えば、「できるだけ違う同士が結婚する」と言っても良いだろう。似た者夫婦などというのはやや気持ち悪い。女性の気晴らしは、おしゃべり、食事、買い物であり、男性はお酒、スポーツ、電気製品だから全く違う。

でも、それが結婚なのだ。結婚が似た者同士なら、結婚しないで独身の方が良い。似ていないので、一緒に生活をすると2倍の人生になる。自分だけの人生なら自分が正しいと思う生活をするので、一種類だが、考えも性格も違う2人が生活するから生活は幅が広がり、2倍の人生を送ることができる。

また素晴らしいことに結婚すると子供が生まれることが多い。子供は夫婦とは経験も違い、性格も少しことなる。それより何より生きている時代が違うから子供とともに新しい時代を経験することができる。運よく長寿なら孫に恵まれることもあり、そうなると次々世代まで少し垣間見ることができる。

結婚して2倍の人生、子供ができて3倍の人生なのだから、こんなに素晴らしいことはない。でも、なぜ喧嘩し、離婚するのだろうか? それは次のような錯覚のなかで生きているからだ。

1)私たちは集団性の動物であって、オス・メスが分かれているのだから、結婚して人生を送るのが当たり前のことだということが夫婦の間でよくわかっていない。だから、夫が「生活費」などといって妻に生活費だけを渡すようなことになる。もし財布を一緒にしないなら夫婦にならない方が良い。(財布が別な動物の夫婦はいない)

2)体も性格も考えも違うから結婚するのだから、意見やなにが正しいと感じるかなどすべて違うはずだ。違うから2倍の人生になるので、同じなら結婚する意義はかなりなくなる。生活の中で意見が違う時には、妥協して中間で行くか、今度は夫、次は妻というように順番性でやるか決めておけば良い。

3)社会が「似た者夫婦」とか、「夫婦は同じことをするべきだ(仕事、台所など)」、「イクメン」などに惑わされて、当たり前の夫婦の生活が「悪いこと」と錯覚している。夫婦が同じく仕事をしたり家庭のことをしたりしても良いし、夫が働いて妻が家庭を守っても良いし、そんなことはどうでも良いことだ。要はその夫婦が「こんな夫婦で行こう」という合意があることで、それが結婚前のもっとも大切な合意だ。

男女の愛というのは生殖の愛だから、子供が生まれたら冷えるものだし、第一、熟年婚などではもともと生殖の愛が少ない場合がある。家族としての愛、集団性の動物としての愛とは、2倍の人生のための愛である。

(平成261126日)