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1972年、当時の田中首相と周恩来首相の間で締結された日中国交正常化は、戦争で破壊された日中関係を元に戻す第一歩として日本にとっても中国にとっても大きな前進だった。どんなことでもそうだが、現状で都合の悪いこと、改善すべきことを突破していくのが政治で、現状維持なら政治はいらない。

この日中国交正常化の交渉で尖閣諸島は「ここでは尖閣諸島の問題を取り上げない」と周恩来首相が口頭でいったことで問題を先送りしている。つまり、日本は尖閣諸島は日本の固有の領土という立場、中国は領土問題があるという立場だった。

この1972年という年をエネルギー関係から見ると、その4年前の1968年に国連の東アジア経済委員会の資源調査で尖閣諸島の下に膨大な石油が埋まっているとわかった後だ。すでに日中で調査が行われていて、およそ1018億バレルが埋蔵されている可能性があるとされている。

1000億バレル以上の石油の埋蔵量が確認されている国といえば、イラクなど中東の大型産油国であり、もしそれが現実になったら日本は大きな資源保有国になる。別にメタンハイドレードが悪いというわけではないが、石油とは比較にならないほどの格下の資源だ。日本は石油などの工業資源がないとされていて、もし尖閣諸島に大きな資源があり、しかもそれが日本の領土にあるとすればそれは日本人にとって重大な関心事であるはずだ。

もちろん中国もそのことを知っていて、どうしたら尖閣諸島の領有権を持つことができるか戦略をねってきた。その一つが1978年に福田首相と登小平(登という字は少し違うが日本の漢字ではないので登を使った)の間で締結された日中平和友好条約で登小平が「韜光養晦」という言葉を使ったのが有名だ。

光を包み、養いを隠すという意味だから、「包光養隠」と言っても良いし、「脳ある鷹は爪を隠す」としても良いだろう。いずれにしても中国は力があるのだから、日本を凌駕するまで下手に出ろということだ。

1990年、日本がバブルの崩壊によって経済的な打撃を受け、さらに仮装としての環境問題(環境で被害を受けていないのに環境が大切と言って活動を制限した)が発生し、節約などの旗印のもとで力を落としていった。その間、中国は日本の技術援助、ODA、人的交流などあらゆる手段を使って日本を出汁にして発展し続けた。

1992年にはソ連の崩壊を受けてさらに力をつけた中国が「領海法」を制定し、尖閣諸島など東シナ海、南シナ海の島を勝手に領有することを宣言したのだった。この時、それまでの日中関係から見れば、日本は「約束と全く違う」と猛烈に講義をするべきだったのに、なにもしなかった。

日本の首相は宮沢喜一氏で精神的にひ弱で秀才の彼には中国と互角に渡り歩く勇気も覚悟もなかったのだろう。まだ中国の経済発展は半ばで、国民総生産(GDP)も日本の半分ぐらいだったので、この時が「尖閣諸島は日本の領土だ」ということを確定する最後のチャンスだった。しかし、それは後に述べるように反日日本人の存在もあってできなかった。

21世紀に入って中国の力が日本を上回っていく。人口、軍隊、核武装、宇宙開発、そして最後にGDPで日本を抜いた。そしてついに東北大震災と福島原発事故を見て、本格的な尖閣諸島「領土問題化」を計画し、尖兵として漁船員を上陸させ、船舶が領海を侵犯する。さらには戦闘機が日本の防空識別圏に侵入した。これらのことはすべて偶然ではなく計画的に進められる。それが「平和外交」である。

日本の新聞もNHKも中国が計画的に「平和外交」を進めていることを報じない。単発の事実を報道するだけだから、日本人は一つ一つが偶然に起こっているように思っている。それに加えて揉め事嫌いの日本人と反日日本人がいる。

その後、さらに靖国問題を取り上げ、経済で圧力をかけ、さらにスポーツも動員する。そうすれば日本は妥協すると読んでいたが、その通りになり、安倍首相が習近平主席と会うために妥協をしたのだ。妥協しなければ経済界やマスコミがうるさいからだろう。

日本外交は全面屈服した。日本は「平和外交」ができない。ついに文書に「領土問題が存在する」ということを日本が認めてしまった。これで五分五分になったので、あとは軍事しかないだろう。

(平成261111日)