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さて、災害から身を守る具体的な方法を整理してきました。このように整理すると普段から気を配っていると思っていた私も不十分なところがあることに気がつきます。人間の頭は普段からそれほど整理されていないので、ときどき自分で整理したり、家族や友人と話をしたりすることが大切なように思います。

ところで、人間はひとり残らずそのうちには死ぬのですが、死というのは自分や家族にとって最大の災害とも言えます。でもそれは仕方がないので、多くの人がそれを受け入れます。それでは死より小さい災害はどのような心構えが必要でしょうか?

私は「昨日は晴れ、今日も朝」ということをモットーにしていて、ときどき、色紙などに書かせてもらいます。人生は順風満帆ではなく、嫌なこと、苦しいことが起きるのですが、それは人だから仕方がないと思って「昨日がどんなにどしゃ降りでも、晴れと思う」ことにしています。

幸いなことに「昨日」は過去なので、もう二度と帰ってこないのです。だから土砂降りだった(ひどい目にあった)と思えばそうですし、それをすっかり忘れて晴れだったとすればそれで良いというところがあります。

そして、眠れなくても眠れても、朝が来たら新しい一日が始まります。なにしろ昨日は晴れですから、朝起きたら昨日のことはあまり覚えていないという状態で、「なにか良い日だったな」ぐらいしか思い出さないのがコツです。

そして「本当は今日はなかったのだけれど、有ったのか!それじゃ、今日一日だけ頑張るか!」と思うことにしています。

人間はやがて死にます。死ぬ前の日に「明日死ぬ」ということがわかる場合もあるでしょうが、普通は人間は明日死ぬとわからないのですから、本当は「今日しか生きていない」と思わないと生きていけないからです。でも、人間は一つ一つをそれほど論理的に考えているわけではないので、ぼんやりと「明日も、明後日もある」と思っているだけです。

そこで、思い切って、「人間はいつ死ぬかわからない。だから、今日が最後と思うおう」と思うと結構、それに近い気持ちになります。かといって、貯金をすべて使い果たそうとも思いません。今日一日と思うと、かえって普通の生活をしたくなります。今日、やるべきことをやり、明日はまた明日だ、明日のことは明日やろう。でもやがてできなくなる日が来るだろうという感じになります。

そうなると、仮に地震にあって「もうだめだ」と思っても、「そうか、今日が終わりだったのだ。でも自分は満足だ。これも運命だから」と受け入れることができるでしょう。私はまだ死んだことがありませんが、失明したことがあります。でもその時に、普段から「今日も朝」と思っていたので、動揺せずに切り抜けることができました。

災害に遭わないようにするには、具体的に災害の状態を知り、対策を立て、日常的に注意をすること、政府・専門家・NHKのいうことを参考程度に聞くこと、そして「今日も朝」と思うことと私は考えます。

(平成261010日)