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1956年から始まった日本の高度成長は、日本人の生活を豊かにしましたが、一方で、社会も家庭も人生の行き方も大きく変化し、複雑になりました。多くの問題が次々と表面化し、一つも解決ができないうちに次の課題が生まれるという具合で、なにがなんだかわからなくなったのが1990年代でした。

つまり仮装社会の始まりだったのです。

特に顕著だったのが、あれほど懸命に働いていた日本人が「活動の目的を失った」ということでした。1956年から1990年までただひたすら「豊かになる」という目標があり、三種の神器と持ち家を得るために必死に働いてきたのですが、1990年になって現にそれを手にすると「次は何をするの」ということになったのです。

日本人は面白い民族で「目的」にはあまり興味がなく「行為」が好きだというところがあります。アメリカの家庭を描写したテレビドラマを見て、「ああ、あんな豊かな生活ができれば良いな」とは思い、それに向かって邁進することはできるのですが、自分たちで「理想的な社会と人生」を考えることはあまり好みません。「思考停止型で実行型」なのです。

私が原子力の研究をしていた頃、私は「自分は原子力をやるべきだろうか?」と日夜、苦しみました。そこで部下の人にその質問をぶつけると、きょとんとした顔をしているのです。つまり、「原子力を研究する」というのは上から降ってきた目的で、それには関心がなく「どうやるか」には必死で、夜遅くまで研究をしてくれます。100人ぐらいの研究部隊でしたが、「やるべきか」を考えていたのは、ごく少数、2,3人のいなかったと思います。

その頃、「やるべきかどうかがわからないで、よくあれほど一所懸命やってくれるな」と思っていたものです。現在でも「原子力を再開すべきか」という議論を聞いていますと、理由もなく再開すべきと思っている人と、思想的に再開するべきではないと考えている人が罵倒し合っているだけで、議論をしているようには見えないのです。

高度成長期(1956年から1990年まで)に、日本人が目指した「豊かな生活」とはどういうものだったのでしょうか? それははっきりしたイメージがあったのです。
1
)欧米並みの所得(1990年に達成)
2
)毎週土日と、土日を含めたまとまった休日が30日ぐらいで、そのうち20日ぐらいが家族旅行

3)家電製品、持ち家、車、クーラーなどが充実
4
)揺篭から墓場までの保証された人生
5
)突然の事故や天災に巻き込まれない安全・安心な生活

「豊かな生活とはなにか?」などと議論される場合がありますが、そんなにむつかしいことはないので、国民総生産が500兆円、働いている人が1億人とすると、おおよそ一人年間500万円の所得で、休日が土日と年間15日ほどの祭日や正月、それに20日の有給休暇をとり、まあまあの家で車がある生活ということですから、ある意味「普通の生活」です。

ところが、現在は休日の取得日数が8日(フランスは30日)、家族のドライブはほとんどなくなり、観光地はどこも青息吐息という状態になりました。また年金が破綻し、非正規雇用が増え、経済が乱高下し、大地震や大災害が続く・・・という思いがけない社会になったのです。

家庭の崩壊が続き、離婚は増え、高齢者の孤独や認知症などが社会問題になります。自殺は旧共産圏諸国の不安定な国を超える勢いで、原発の爆発でさらに社会は不安になります。だから「なにが豊かか?」という問いに発展し、勢い、「自然とともに」などと言われますが、まずは「生活環境が変わったなかで準備していかなった男女、家庭などのような人間の問題」と「豊かになってルーズになった指導者」が私たちを苦しめるようになったということです。

(平成26107日)