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1000食のお弁当の注文を受け、作っているうちに少し臭い匂いがしたけれど、腐っているかどうかまでは判らなかった。お弁当を持っていかないとみんなはお腹が減るし、売上も減ってしまう」と食中毒で47人の死亡者を出し、16名がまだ生死の境をさまよっている時に、弁当会社の社長はそういった。

このようなことは現代の日本では「仕方がないこと」なのだろうか、「犯罪」なのか? 確かにお弁当を作っている時にそのお弁当を食べたら食中毒になるかどうかを見分けるのはむつかしい。食材が運ばれてきてそれを詰めて持って行くまでに「分析」などをしている時間はない。わずかな臭いがしたからといって、普通は大丈夫だ。経験的にもそうだ。

だから、弁当を売って47人が食中毒で死亡しても「仕方がない」とはならない。しかも、お弁当を食べる人が少し不安になって、「大丈夫かな?」と思って弁当に貼ってある紙を見ると「レベル1:このお弁当は安心して食べられます」と書いてあった。それじゃ根拠があるのだなと思って子供にも食べさせたら、子供が死んでしまった!!

明らかに犯罪だ。「判らなかった」ですむ問題ではない。「弁当を運ばないとお腹が減る」、「弁当を捨てると経営に問題がある」というのと、「レベル1を2に上げると登山したい人ができない」、「レベル2にするとホテルが困る」というのとどこが違うのか??

ところで、御嶽山の噴火では、噴火予知連絡会の会長が「噴火予測はできない」といい、謝りもしなければ、頂上の地震計が壊れていたことも言わない。「レベル2に上げる決断ができなかった」ということだ。

「食中毒になるかわからなかった」というのと、「危険かどうかわからなかった」となにが違うのだろう。おそらく「噴火予知はむつかしい。食中毒の判断は簡単だ」と思っているか、食中毒の判断は庶民だが、おれは大学の教授だと勘違いしているのか、どちらかだろう。

しかし、ある職業で責任のある判断をするためには、「判断できる」ことが求められる。食中毒になるかどうか判らなければ弁当屋をやるべきではなく、噴火の予知ができなければ「レベル1」を表示することはできない。

こんなに簡単なことがわからないのが、会長の東大教授、噴火の権威の先生なのである。しかし、なぜ判らないのかというと、その原因は「あまりにもウソが蔓延し、NHKも平気で嘘をつくので自分がウソをついていることがわからない。でも、「わからないことをわかったようにして、レベル1を表示する」というのは「ウソ」である。

(平成26年10月3日)

(この記事の一部に事実と異なることがあり、ご関係の方にご迷惑をおかけしました。お詫びします(訂正しました))