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19世紀に入ると白人は東南アジアをほぼ制圧して、中国にやってきます。南からはイギリスとフランス、北からはロシアでした。もし中国という国が小さく、白人が進む途中にあったとしたら中国も奴隷的植民地になったのですが、国が大きく奥座敷にあったので、白人も全部を植民地にするという必要はなかったのです。
そこで、清王朝と交渉して、次々と「不平等条約」を結び、「領土と利権」をとっていきます。最初はイギリスとの南京条約ですが、その後、フランス、アメリカ、ロシアと次々と不平等条約を結び、清王朝がとった膨大な土地を少しずつ切り売りしていきます。
当時の清王朝の天子(皇帝)はすでに満州からやってきた頃の覇気はなく、北京の王朝で後宮の女性と楽しい暮らしをしていましたし、第一、自分やそのほかの王族、官僚にとってみれば、生涯にわたって見ず知らず、行くこともない遥か遠い土地を少しぐらい白人に分けてもどうってことはなかったのです。
私たち日本人にとっては「日本国」というのがあり、その中で「遠州」とか「備中」という地域に住んでいるのであって、日本国はどこに行っても日本人が住み、言葉は日本語が通じたのです。ところが、中国やヨーロッパの場合、「中国」、「ヨーロッパ」という地域があるだけで、そこには「どこからかやってきた言葉も通じない王様とその一族」が税金を取るという事だったのです。
数年前、イギリス王族に子供が生まれたと日本では大騒ぎをしていましたが、現在の王朝はかつてドイツから来て英語がわからず、それが立憲君主制を生んだともされています。日本では日本語がわからない王様などはいませんでしたので、かなり「国」の感じが違うのです。
清の皇帝とその一族は女真族で、中国が「我が領土」という感覚はなく、「うるさい白人に少し土地をやっておけば良い。贅沢に暮らせれば良い」ということで、愛国心もなく、そこに住んでいる住民(国民とは思っていない)の事など考えるはずもなかったのです。
だから、19 世紀の初めにイギリスと小競り合いをしただけで、あとは割譲に割譲を繰り返して19世紀末まできました。さらにそこで、それまで属国だった朝鮮(李朝朝鮮)との関係を巡り日本と対立、日清戦争が起こりました。
それまで中国に少しずつ領土や利権を得て満足していた白人は、日本があっさりと「大国」と思っていた中国を破ったので、「これはさらに行ける」と考え、まずは日本が中国から得ようとした戦争賠償金を狙い、さらに土地を狙ってきます。「中国は死んだ虎だ」ということがはっきりわかったのです。
中国はさらに割譲を続け、ロシアには満州を(鉄道使用権、軍港など全部ではないが、主要部分)、ドイツには遼東半島を、イギリスには海岸線を、フランスには南部を、アメリカには鉄道敷設権などを与え、自分たちは北京から西と西南の土地を持ってそこからのあがりで贅沢な生活をすれば良いということになったのです。
つまり、中国だけが白人と戦わなかったのは、「白人は強いがアジア人は俺たちの部下だ」という考えで、指導層が「自分たち一族だけが贅沢な生活ができれば良い」ということだったからです。これが中国人の考える「国の防衛」ということでした。
ちょっと付け足しますと、朝鮮は日清戦争で清の属国から離れたのですが、国は荒れ果て、王朝はないも同然でした。そこで清が引いたあと、日本が出てくるのを恐れ、どうせ誰かに国土を渡すならロシアの方が強いから、ロシアの属国になろうということになり、朝鮮半島の南端、対馬のすぐ前にロシアの海軍基地を作ることを了解したのです。
白人と戦わなかったという点では中国も朝鮮もほぼ同じです。「強いものには抵抗せず、まあまあ頑張れそうなら頑張る」と言っても良いし、「自分より強そうなら従い、弱そうなら攻撃する」ということでもあったので、結果的に、世界最強の陸軍と言われたロシアや、七つの海を支配したイギリス海軍には従ったのです。
それに対して日本は薩英戦争で薩摩の大砲がイギリス東洋艦隊を破り、日露戦争でロシアに勝つという当時の世界の見方では真逆の結果を出したのですが、日本の方が無謀で中国や朝鮮の方が普通のやり方だったとも言えます。
第二次世界大戦が終わって見ると、中国は白人側についていたので、そのまま独立が認められ、朝鮮は日本国だったので、日本から離れましたが、その他のアジア諸国は第二次世界大戦が終わったあとも、もう一度、激しい独立戦争を経験したのです。
この間、中国は中華民国と共産党の間で激しい内戦があり、アジア諸国の独立の援助は一切、行いませんでした。中華思想、アジアの盟主と言っても、中国の場合は「自国のため」だけを考えて行動するという特徴があるようです。そして「白人と戦ったことがない国、中国と朝鮮」が、「当時の常識では考えられないこと・・・白人と戦ってアジアの力を示す」という行動にでた日本を憎むのは当然のようにも感じられます。
もし、中国が日本を認めたら、それは「アジアの国が白人に抵抗すべきだった」ということを是認することになり、それこそ中国の歴史を否定することになるからです。中国が白人側についたことを隠すためにも、「白人は侵略しても良いが、アジア人としての日本が白人と戦うのは許せない」と言いたいでしょう。それが歴史的事実とも違うことを主張し、さらには日本の中に反日日本人を作り、共同で運動を進める理由と考えられます。
(平成26年9月23日)