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「戦争」ということで人類を見ると、現代人類(ホモサピエンス)には、二種類の「人類」がいる様に思う。一つが「戦争ばかりしている人類」と「必要最小限しか戦争をしない人類」で、簡単に言うと戦争ばかりしている白人と中国人、ほとんど戦争をしないアジア人に別れる。

これは「歴史的事実」であり、「思想」ではない。たとえば、白人はギリシャ、ローマ時代から戦いばかりで、歴史を学ぶことは戦いの歴史を学ぶこととほとんど同じだ。

ところが、中国を除いたアジア諸国はほとんど戦争をしない。日本、フィリピン、インドシナ、インドネシア、タイ、ビルマ、インド、ハワイなど歴史は古いがほぼ自分の国の中で満足している。日本は歴史が長いし、力も強かったので、もし日本人が白人のように戦闘性が高ければ、台湾は言うまでもなく、フィリピンぐらいまではすぐだから攻めただろう。

それは白人がアジアの諸国を植民地にしだした15世紀の近代でも同じで、「アジア人同士の戦い」というのは、中国を除けばほとんどない。フィリピン、インドネシア、インドシナなども相互に接近しているが、一つの国に統一されたことはない。

日本が一時、東南アジア諸国に軍隊を送った大東亜戦争の時にも、日本が戦った相手はアメリカ人、イギリス人、フランス人、オランダ人と白人に内通した中国人であって、例外を除いて先の戦争でも日本はアジア人とは戦っていない。

その中で、中国だけが国内ばかりではなく、周辺国に常に戦争を仕掛けてきた。中国人同士の戦いも他のアジア人とは全く違い、漢の時代には人口が10分の1に減るほどの戦いなどがあったし、その後も激しい戦いの連続だった。日本でも鎌倉時代、室町時代などの時代区分があり、その度に「戦闘」はあったが、それは武士同士の内輪もめのようなもので、負けた方の住民が奴隷や皆殺しにあうというような戦いではなく、まして外国まで攻めるのは極めて稀だった。

「欲しければ相手の土地でもなんでも取りに行き、そこにいる人を皆殺しにしても良い」と考えるアーリア系白人と中国人の考え方と、「自分たちは自分たちの国の中でやっていく」というアジア系の考え方の二つがあることは歴史的に明らかだ。ただ、少数の例外があることはあるが、その比率ははっきりしている。

日本人(和人)よりさらに優れた民族がアイヌで、彼らはクマを殺す強力な武器を持っていても、人間を殺す刀は発見されていない。つまり人殺しの兵器がもともたない。発明できなかったのではなく、和人から3回、攻め込まれ和人の武器を獲得したが、戦争が終わるとすぐ捨てて使うことはなかった。

戦争を好まない民族(防衛だけはする)も多いが、アーリア系の白人は他人の領土とか他人の命というものを考えないことと、さらには「奴隷」を多く使った。思想的な面もあり、白人と中国人は「支配階級になって働かないのが人生の目標」と思っているが、アジア人は「働くことが生きがい」だから奴隷や召使はかえって面倒で、自分でやったほうが早いという感覚がある。

これは技術の世界でも同じで、アメリカやヨーロッパは「技術職」というのは現場ではほとんど仕事をしない。「技能職」が現場で技術職の指示を受けて仕事をする。日本人の感覚としては、「他人の物は他人のもの、他人も自分と同じ人間、自分のことは自分でやる」という考えの方が「適当であり、優れている」と感じる。白人のように「他人の物でも欲しければ取る、他人は奴隷にできる、自分は遊んで他人に働かせる」という考えより良いことに感じる。

だから、日本人やアジア人は、アーリア系白人や中国人に、「あなた方のやったこと、考え方が人類を戦争に追い立て、苦しみをもたらしたのだ。ここらへんで深く反省しなさい」とはっきり言ったほうがよい。

白人は戦争を繰り返してきた。だから暴力が強い。人間の中に獣の時代の記憶があるから、「暴力の強いものを尊敬する」という本能があるが、それもそろそろ止める時期ではないか。日米戦争でも、「日本は戦争に負けたから悪いことをした」という理屈はいただけない。

今後もよほどのことがない限り、アーリア系白人か中国人しか戦争を仕掛けてくる人たちはいないだろう。それにどのように日本が備えるかをアーリア系白人や中国人に教えてもらうことなく、日本人が考える必要がある。

(中東やアフリカでの紛争は、国境が「直線」であることで、これはヨーロッパ人が植民地にしたときに引いた国境が本来の国の境界(民族や地形で決まる)と違うから起こっている。)

(平成2694日)