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自由な批判ほど社会を明るくし、不正をなくすのに役立つことはない。人は誰もが同じ価値観を持ち、同じ感受性を持っているわけではない。「自分と違う」というのは「相手が間違っている」ということではなく、「相手は相手の考えや感じ方がある」ということだ。

巨人で活躍し、その後、ニューヨーク・ヤンキースに移って大活躍した松井選手は、星陵高校時代に甲子園にでて、確か一試合、全部の打席で敬遠されたことがある。なにしろ「超高校級」だったので、相手チームとしたら、ホームランを打たれるぐらいなら四球のほうが良いというのも作戦の内かもしれない。

でも、「正々堂々と戦う」という精神の中に「全打席を敬遠する」というのが入っているかどうかの異論があり、大いに議論をしたものだ。なぜ、この全打席敬遠というのに議論が長く続いたのかというと「ネットがなかったから」だろう。当時は、新聞、テレビ、投書欄、そして酒場の議論だったから、人の噂も75日で、75日ぐらいは話題になった。そのうち、おおよそ妥当な結論になり、「敬遠する気持ちもわかるが、甲子園で打つチャンスを失った子供も可愛そうだ」、できるだけ「正々堂々と戦う。あまり勝負にこだわらない方が良いのではないか」ということになった。

でも2014年の甲子園のスローボールは、批判的なことを言ったブログが叩かれて、謝罪した。謝る必要はない。人には人の考えがあり、悪意、人を貶める目的、利権などが背後になければ、その人の意見として(自分の考えと全く違っても)尊重しなければならない。多種多様の意見を認めるのが自由主義で、もしある人の意見を「悪い、良い」に分類するなら全体主義か共産主義の国に行ったほうが良い。

私は実際に試合を見ていて、「人を馬鹿にした投球で好ましくない。ペースを変える、気分を転換するなら別の方法が良い」と感じた。つまりネットでバッシングされた方を支持する。かつて金田正一投手がプロ野球で超スローボールを投げた時も、相手の打者は内心、「馬鹿にするな」という感情が顔に出ていた。私には人間としての礼儀に欠けるように思う。

たとえば、私たち大学教授が知識があるからといって、普通の人に故意にやさしい問題を出して、「こんなことも知らないのですか」というのは適切ではない。

私なら投げた高校生に、「超スローボールを投げるのがむつかしくても、打つのがむつかしくても、やはり常に相手を尊敬し、自分としての全力を注ぐのが良い。スピードを変えるのもチェンジアップまでが良いだろう」と教えるだろう。

(平成26912)