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全国高校野球の地方予選が終盤になってきた。その中でも石川県の決勝戦は古豪星陵と、小松大谷の戦いになり、9回裏まで08で圧倒的に小松大谷が優勢だったが、突如、星陵打線が目を覚まし、9点を奪って逆転サヨナラとなった。

 

この試合を見ていると、スポーツというもののすばらしさ、高校野球の素晴らしさを強く感じる。それは結末が劇的だったからではない。9回の小松大谷の守備は決して乱れていなかった。それまで星陵を零封していた投手は、握力が下がってきたのだろう、ボールのコントロールが十分ではなくなっていた。

 

それでも投手交代の時期ではなかった。零封している投手を零封のまま交代させると、それがキッカケとなって相手の打線に火が付くことが多い。また配球も冷静で決して相手を侮っている風には見えなかった。

 

最初のバッターが出塁し、ヒットが続いて2点を失い、さらに暴投したところで交代となった。解説者も「交代が良い」と言い、私もそう思った。リリーフ投手も力も経験もある2年生で、球も走っていた。さらに2点を取られて84になってもバッテリーは冷静さを忘れず、勝ちを急がず、淡々として投球していた。しかし、星陵打線の気力がはるかに優っていた。とにかく、打てる球が来たら打つ。それも「必ずヒットになる」という確信でバットを振っている。

 

私はそれを見ていて「もしかすると、野球というのは「ヒットになる」と思って打てば、原理的にヒットになるもので、普段、アウトになるのはバッターの心の中に「打ち取られるのではないか」との不安があるからではないか」と思ったほどだ。そうでもないと、今まで零点だった打線が突然、ヒットを連発する確率は天文学的だからだ。
 
3安打零点で9回まで来た打線が、10連続安打を打つ確率は1億分の1を下回る)

 

内野ゴロでホースアウト、さらに一塁フライで2アウトになり、点差は2点。それでも星陵の気力は続き、ついに逆転サヨナラとなる。人間の気力、若い人の持つ潜在能力のすばらしさを見た。STAP事件の大人のいやらしさに辟易としていた私の心も気力が回復してきた。

 

試合が終わり、がっくりと肩を落とし、泣きじゃくるナインがグラウンドからホームベースに帰ってきて、審判の前で試合後の挨拶をする。立派だった。甲子園を目の前にして、信じられない敗戦であったが、それでも誰一人、並ばない選手はいなかったし、相手に礼をしない人もいなかった。

 

悔しさに崩れながら、礼を重んじて頭を下げ、うなだれて帰って行った。この世のほとんどのことは白日の前に晒されない。晒されないことをするのが当たり前というような社会だ。その中で、どんなに過酷な運命もグラウンドでは炎天下のもとで明らかになる。そこで起こることは隠すことはできないが、運命でもある。

 

長い長い年月、甲子園を目指して泥まみれになった君たち、それが089回から9点を奪われるなど考えたこともないだろう。でもそれが現実だ。その現実を受け入れて審判の最後のジャッジを聞き、相手に礼をするだけの力を君たちは持っている。

 

スポーツや人生には因縁というのがある。仏教の因縁より少し意味は軽いが、小松大谷は20139月の石川県大会の準々決勝で星陵と戦い、延長12回ぐらいの裏、小松大谷がライトへのサヨナラホームランで勝っている。その雪辱戦が今度で、しかも08で負けるところだった。でも、そこで奇跡が起きた。

 

日本の大人は奇跡を起こす力も気力も失っている。もう、君たちの時代だ。

 

(平成26728日)