「shinjidai8__20140723956.mp3」をダウンロード
このシリーズの第5回目まで国際情勢をまとめ、第6回から「平和的手段で平和を達成する」という一つの考え方を示してきました。「日本を守るために軍隊を持つ」というのはある意味で簡単ですが、「日本を守るために平和的に何をするか」というのは難しいことです。第一、新しい考え方ですから、十分な議論もいるでしょう。
でも、ここで一つの不安があります。それは、総じていえば「日本人は議論が下手」ということです。これは日本文化や言語との関係があるので、おいそれと日本人が議論がうまくなるのは難しいとは思います。
外国、それも英語圏に行ってよく感じることは「人の話をよく聞く」ということです。何しろ人種が違う人が多いので、パッと見てその人が何を考えているかはわからないのです。そこで、英語は主語があり、単数複数があり,時制も明確です。「窓を開けました」ということはできず、「私」なのか、「誰か」なのか、その「誰か」が男なのか女なのかから始まって、「一つの窓」か「複数のまどか」も言わなければなりません。HeかSheか、a windowかwindowsかみんなはっきりさせるのですから、わかりやすいと言えばわかりやすいのです。
ところが日本では、島国で民族も一つというので、以心伝心、パッと見たらその人が大体、どんな考えを持っているかがわかりますので、どうしても先入観に頼ることになりますし、感情が先立ちます。お前はどうも右翼のようだとなると、思想が左の人は最初から意見を聞く気がないという感じになります。
私もテレビ討論などに出ると、「事実を共有する」という段階を踏まずに、いきなり「意見の衝突」になることが多く、また視聴者もそのほうが喜ぶというのでテレビ局も故意にバトルを求めます。でも私としては、1)事実認識が違うのか、 2)事実は同じ事実で意見が違うのか、ということがわからないままに言い合いをしているのですから、実に生産性がありません。
1)十分に事実について認識を共有する、
2)事実が共有できない場合は、どこが共有できないのかを明らかにする、
3)意見が違うところが、「事実認識が違うから意見が違うのか」、「事実認識は同じだけれど、意見が違うのか」を明らかにする、
という手順が必要です。でも「温暖化対策は必要か?」というような簡単な問題でも、私が「1997年から2014年までの17年間は地球の平均気温は変わっていない」というと、それは「事実認識を合わせようとしている」のに、地球温暖化の対策を進めたいとか、政府に遠慮している人は、私の発言についていうのではなく、「30年の平均より2013年の気温が高いから温暖化している」と言います。そこで、私が、「それは30年のうちの最初の13年の気温が低かったからで、最近、17年は変わっていない」とさらに事実認識を合わせようとすると、それには答えないで先に行きます。
そうすると、「地球が温暖化しているのか、していないのか」という事実についてはいつまでも曖昧なままで「温暖化は是か非か」という話になってしまいます。この原因の一つは、「自分で考える力がない」ことで、第二に「結論を急ぐ」、第三が「ケンカをしたい」ということにあるように思います。
つまり、「合意」より、「反目」を目的に議論するという感じです。これではせっかく合意できるところが合意できず、何のために議論しているのかわからなくなります。おそらく「平和的手段で平和を達成する」というのでもっとも困難なのは、日本人が「合意のために話し合いをする」ということで、今後、私はテレビなどを通じて、できるだけ「合意のための話し合いをしよう」と呼びかけようと思います。
そのためには「人を非難する」という力を弱める必要があります。STAP事件でみられるように「褒めて貶す」ということが続く限り、なかなか難しいと思いますが、これも根気よく訴えていきたいと思います。
名古屋のある高等学校で、「正しいとは何か」を講演し、人には人の正しさがあるということをじっくりお話してきました。「自分が正しいと思うことが正しいわけではない」という気持ちが少しでも増えてきたら合意に向けて進むようになると思うのです。
(平成26年7月20日)