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戦後、日本に憲兵というのがいなくなり、不意に監獄に入れられることがないという時代が来た。私の若い頃は、それは社会は明るかった。反論を言おうがデモに行こうが、(よいことではなかったが)大学で焼き鳥を焼こうが、問題にはならなかった。

 

少し大雑把で荒々しかったけれど、それでも自由と個人を尊重する社会だった。ところが、平和が続くと、社会は成熟し、人間のいやらしいところが出てくる。その一つが三鷹痴漢冤罪事件だった。

 

バスに女子高生と中学校の男性教師が乗っていた。男性教師は学校に財布を忘れて慌てて取りに帰る途中でリュックサックを抱え、携帯電話をしていた。携帯電話をしているうちに横にいる女子高生のお尻にリュックサックが当たった。それを痴漢と勘違いした女子高生が、その場でいうのはためらったのだろう。先生にバスを降りるように促して一緒に降りて、「私の体を触った」と言った。

 

先生は、そんな記憶はなかったけれど、もしかするとそうかも知れず、相手が高校生だったこともあって、「すまない」と謝ったところ、次のバスの運転手に女子高生が訴え、先生は取り押さえられた。

 

裁判になり、先生が片手で携帯電話をし、片手は吊り革を持っていたことが車内の監視カメラに映っていた。また女子高生は「執拗に触った」と主張したが、先生が携帯電話を終わった後、女子高生からクレームをつけられるまでの時間がたった3秒であったことも裁判でわかった。

 

でも、地裁の裁判官は「先生が触ることができなかったとは言えない」という理由で有罪判決を出した。もちろん、こんなひどい裁判は高裁で逆転し、先生が何もしていないということになった。

 

女子学生も悪意ではなかっただろう。先生は単に財布を忘れて慌てていてリュックサックが女子学生のお尻にあたっていることに気が付かなかっただけだ。幸い、監視カメラがあり、携帯電話の通話記録が残っていたので、先生が痴漢をしていないということがわかってよかった。

 

でもなぜ、地裁の裁判官は「先生が触っていないと断定できない」ということで有罪にしたのだろうか? 私が鑑定で関係した裁判でも、京都地裁が「***できないと断定することができない」として有罪判決をしたことを目のあたりにして、びっくりしたことがある。刑事犯だから、疑わしきは罰せずなのだが、「可能性がないではない」ということで有罪にするのが今の裁判所だ。

 

起訴されたら日本では有罪率が99.6%という。つまり起訴する検察が裁判官であり、裁判官は検察の部下なのである。これは先進国では珍しく、おおよそ60%から80%ぐらいの有罪率が普通だ。

 

起訴されるということ自体が社会人では衝撃的で、この先生も28歳ぐらいで起訴され、起訴休職で2年ほど棒に振った。だから起訴は慎重にやらなければならず、有罪率が高いから裁判が不適切だということはないが、これほどの数字(99.6%)の場合、「日本には裁判がない」というのに等しい。

 

ところで、まじめな中学校の先生はとんだ災難だったし、私は教師なので女子高校生も批判する気はないが、交通機関などでの痴漢が多いことは事実だから、女性のほうも男性のほうもお互いに注意をして過ごしたいものである。

 

起訴されて無罪となった先生が、今後、良い教育をされることを期待したい。

 

(平成26721日)