昨夜は涼しかった。窓を開けて畳の上で寝ていると涼しいというよりむしろ寒く、押し入れから厚い掛布団を引っ張り出してその中にもぐりこんだ。気象庁の名古屋の予報は最低気温26℃、蒸し暑く寝苦しい熱帯夜ということだった。
いつ頃から、猛暑日、熱帯夜などという大げさな名前がついたのだろう。私の家は夏暑いことで有名な名古屋の市内にある。でも、この涼しさはなんだろうか?
かつて、夕方になると激しい夕立と雷鳴が轟き、慌ててガタピシいう木枠の窓を閉めたものだ。あれほど激しかった雷鳴と驟雨が去り、風鈴の音と蚊取り線香のにおいの中ですがすがしい夕べを過ごしたのはいつの頃だっただろうか?
それがいつの間にかゲリラ豪雨とかいう味もそっけもない言葉に変わり、締め切ったエアコンの部屋には外の変化すらもわからない。さして大きくない家の中にいるのに、「雨、降ってるの?」と家族に聞く始末だ。
自然災害の犠牲者は1年に2000人ぐらいだったのに、今は200人を下回る。930ヘクトパスカルより低い気圧の台風が普通だった1960年代に比べると、今は950ヘクトパスカルより低い台風が本土を襲うことはなくなった。諫早豪雨、長崎豪雨は1日1000ミリを超えたのに、先日は300ミリで国土が破壊されと叫んでいた。
異常気象と言い、温暖化といい、私たちは何を恐れているのだろうか?もしかすると徐々に迫りくる放射線汚染から目をそらさせ、治水政策の遅れを隠すための役人とメディアの共同作戦とも勘ぐる。
たまには突然の雷雨に晒され、ずぶぬれになって家に帰りたい。それが初冬ならなおさらだ。すっかりダメになった背広、グチャグチャの靴、冷え切った体。やがて沸いたお風呂に身を沈めると、指先までジーンと温かさが戻り、「ああ、生きている!」と思う。
人間は粗末なものを食べているからご馳走が美味しく、辛い思いをするから幸福感を味わうことができる。ああ、平坦でつまらない時が過ぎる・・・
(平成26年7月19日)