睡眠時間と健康の関係はとても面白いものです。ついこの前まで「最適な睡眠時間は男女とも7時間」とされ、このデータはアメリカ100万人、日本10万人の研究で、しかも睡眠時間と平均寿命の関係はほぼ同じでした。だから多くの人がそう思ったのは仕方が無いことと思います。
ところが最近の研究では、女性でも5時間から7時間、男性なら4時間から7時間がもっとも適当な睡眠時間で、これまでの常識とは大きく違ったデータもでてきました。もともと「睡眠時間と健康」が関係があるという仮定に間違いがあるかも知れず、睡眠時間は単に短いと昼間は眠くなるということ以外の関係はないかも知れないのです。
睡眠と体と頭の関係では、睡眠中に4時間半で体の疲れが取れ、2時間半で頭の再整理をすると言われてきました。つまり睡眠とは「体と頭の疲れ」を取り去る作用を持っているということになります。
しかし、人間は「体と頭」でできているのではなく、「心」を持っています。特に現代人は強いストレスの中で生活をしていますから、心の疲れは相当なものがありますが、それは今のところ、睡眠では取れないと考えられています。
心の疲れはどんな方法で取ることができるのでしょう? 普通は心理学や経験論から、無理をしない、頑張らない、成果を求めない、人間関係で悩まない、笑う、泣く、お酒を飲む、思い切り買い物をする、おしゃべりをする、自分を肯定する・・・などが心の疲れを少なくしたり、回復したりするために役に立つと言われています。
ただ、人間は頑張らなければ余計に心が疲れたり、人間関係を避けることができなかったりするので、適度な運動をするとか勉強を欠かさないというものと同じように、「望ましい方向」に過ぎないように思います。
つまり「心の疲れ」は、睡眠では取れない疲れで、古今東西、多くの人が悩んできたことを思うからです。でも、一つだけ、絶対に確実で、それが歴史的に証明されているものがあります。それが「宗教」です。
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名古屋大学時代、伝統材料研究会というのを主催していました。1年に2回ほど名鉄のバスを仕立てたりして同好の士と2泊3日ぐらいの伝統材料探訪の旅にでていました。あるとき、奈良から吉野に入る途中に長谷寺に寄りました。このことはこのブログでもおそらく2回ぐらいは書いたと思います。
その時にお坊様にお聞きしたお話を忘れることができません。かつて、京都から家族の病気平癒に長谷寺にお参りされる方は、京都からもちろん徒歩で2日がかりで来られ、2日ぐらいをかけてお参りをして、一心不乱に家族の平癒を長谷の観音様にお祈りし、余裕があれば少し逗留して体を休め、京にかえったと言われるのです。
昔の方が、現代に比べて本当に貧乏でした。でも、長谷寺にお参りするのに一週間という時間をかけることを何とも思っていなかったのです。むしろその人にとっては貴重な時間だったのでしょう。その人は長谷寺参りでなにを得たのでしょうか?
心の平安ではないかと私は思いました。
宗教の教えは矛盾しています。第一、この世界にお釈迦様、イエス、マホメットなど複数の神様のような人がいること自体、論理に合いませんし、自分が子どもの時に住んでいた地方がイスラムならイスラム教、キリスト圏ならキリスト教信者になるというのも奇妙です。
でも宗教がもつ矛盾には理由があり、人間の心の矛盾と呼応していると私は思います。人間の心は出来損ないで、矛盾だらけです。それに私たちは苦しみますが、それをいやしてくれるのは矛盾に満ちた宗教で、そのことに一心不乱になることで私たちは心の苦しみから解放されるのでしょう。
もちろん、宗教以外に私たちの心をなだめてくれるものは多いのですが、少なくとも「心を休めること」が必要だという意識は大切と思います。つまり心は矛盾しているので、あまりにも合理的、論理的なものでは納得しないのです。心理学ではよく「心理カウンセリングは悪い方向に行くことはあるが、良くなることはほとんど無い」と言いますが、それは心理学が合理的な学問だから、頭を整理することはできますが、心には響かないのでしょう。
1)睡眠は心を修復しないから、日常的な生活では心を休めることはできない。
2)心を休めるには矛盾したものに一心不乱になることでは無いか。
(平成26年7月7日)