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私の性癖なのか、それとも私がおかしいのか? 時に日本社会の誰もが言っていることが私にはどうしても奇妙に感じることがある。STAPもそうだったが、今度のサッカー・ワールドカップも私には違和感がある。

 

コロンビア8位、ギリシャ12位、コートジボアール24位、そして日本47位。これがFIFAの世界ランキングである。だから、日本は「順当に言ったら」全敗のはずで、それから言えば、コートジボアールの1失点がやや悔やまれるが、ギリシャと引き分けたのはあっぱれであり、コロンビア戦も、「力尽きた」という感じはあったが、選手の闘志、戦略、前半の善戦など見るべきところはあった。

 

選手が「上を目指す」のは結構なことだし、それを戦いの前に「そんなに頑張らなくても良い」と言わなくてもいい。だけど、戦いが終わったら、ランキングとしても試合内容としても良かったのだから、「ご苦労さん。よく戦った!」と健闘をたたえたかったが、日本の指揮者やマスコミはザックジャパンを叩いた。違和感があった。

 

オリンピック100メートルで、ランキング47位の選手が、予選で頑張って32位以内に入ったと言うだけで、それは立派なものだ。そして選手一人一人が、自分にはまだ無理なものを大きな大会でつかみ取ろうとする意欲もかえる。だから、ブラジルに行っただけでたいしたものだ。

 

日本人は背の高さばかりではなく、体のガッチリさも外国の選手と比べものにならない。今度ワールドカップにでた国で、残念ながら体格はもっとも貧弱ではないか。その日本はこの8年ぐらいかけて、チームプレー、ワンタッチパス、走り込みなど、高さとパワーでのぞむ外国とは違った作戦をとってきた。それがまだ「未完」なだけである。

 

かつてオリンピックで銅メダルを取り、先回のワールドカップではベスト16までいった。スポーツにはそういうことがあるというだけで、おおむねランキング通りになる。でもランキングを大きく超えようとする選手を励まし、それがならなくても健闘をたたえるようなファンでいたい。

 

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ところでコロンビア戦で精も根も尽き果てた長友のところに、外国のチームメイトが駆け寄って慰めた。長友は試合が終わって立ち上がれず、ピッチに座り込んでいることをコロンビアのチームメートが気がついて駆け寄ったのだ。戦いは終わり、勝敗は決まった。でも、スポーツに全力を挙げる人間の魂は崇高なものだ。

 

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そして、長友を抱き、慰めている間に、コロンビアの他の選手も駆け寄って、みんなで長友を抱えようとしていた。まさに「友情」であり「武士道」である。日本選手はすべてがっくりきていたので、長友を慰めることはできなかったが、ゲームが終わって「ノーサイド」になったのだから、相手の健闘をたたえることこそ日本の誠なのだが、それをコロンビアの選手が実行していた。胸が熱くなった。

 

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もともとサッカーはスポーツとしての特殊だ。私は平和主義なので、サッカーのようにスポーツがあまりに国別対抗になるのは嫌いだ。スポーツはそれ自体で価値があり、どちらかというと国境を下げてくれるから好きだ。でも、もしサッカーでも全力を挙げた後、ノーサイドになるなら、私はサッカーを見直したい。

 

でも、日本では監督の責任を問い、エースクラスはまるで罪人のように肩を落としていた。そうではない。君たちは立派だった。サッカーのような力と力の勝負の中で、よく内容の濃いゲームを見せてくれた。君たちの戦いはやがて日本の多くの子供たちがサッカーを楽しむインセンティブになるだろう! ご苦労さん!!

 

(平成26628日)