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(雑音を減らすためにマイクを変えました。その第一回でまだ少し調整が必要かも知れません)

 

都議会で女性議員の発言中に、大きな声でセクハラ野次を飛ばした議員がいて、その議員が後に特定されて謝罪した。最初、発言した議員は名乗らずに、取材に対して自分ではないと言っていたが、正しいことをしているなら「私が発言した。何が悪い」と言わなければならない。

 

都議会も同類の野次を飛ばした議員を特定しないことにしたが、社会の模範となるべき議員としてはあまり感心しない議会の決定でもある。

 

しかし、まだこれほど日本のおじさんが野蛮なのか!とうんざりする。女性である男性である、高齢である若い人だ、肌が白いか浅黒いか、生まれが何県かなど、仕事にも人格に門関係のないことは普段から区別をしてはいけないのに、「議会」という場で「公共放送にも届くような大声で」発言するというのはどうにもならない。

 

人間には「その人の社会的立場」、「発言する場所」、「発言が届く範囲」で、制限がある。議員が議会で大声でセクハラ発言をするというのはまったく話にならない。私たちは、女性と男性などその人の格好、生い立ち、その他のものを問題にせず、その人に言っていること、考え、行動などに注目して、明るい社会、女性も男性も楽しく能力を発揮できる社会を目指しているのに、それに対して正面から反論する(たとえば、女性と男性との区別があった方が良いというなら、そのように訴えて議員になれば良い)ならまだ良いが、野次で日本文化や日本の未来を傷つけることは許されない。

 

また、今回の事件の女性議員はきちんとした身なりをしていたが、国会議員の女性の中には髪の毛を紫に染めたり、ものすごい派手な服を着たり、不適切な装飾品を使ったりして、「女性」を過度にアピールしている人もいる。このようなことがないように女性の方も注意して、男女共同して明るく楽しい社会にしていきたいものである。

 

ところで、石原環境大臣と都議会議員の不適切発言が続いたが、「このような発言はダメ」という考えと、「このぐらいいいじゃないか」とか、「自由な発言こそ大切だ」、さらには「野次を飛ばされた女性議員に問題がある」というような反論があり得ると思う。

 

まず第一に政治家は「信念」だけではダメで、多くの人がある政治家に同意して応援するためには「言葉」も大切で、「信念」と「言葉」があってはじめて立派な政治家といえるだろう。その意味で、政治家は「失言で目立つ」のではなく、「説得力があり、多くの人を引きつける演説」で目立ってもらわなければならない。

 

第二に、相手に問題がある・・・福島の候補地がお金を求めている、女性議員は問題の議員だ・・・ということで、不適切な発言は許されるということはない。もし福島の候補地が法外のお金を求めていて、それが環境保全に問題があるなら、問題になるところを正確に批判して、自らの意見を述べるべきであり、女性議員が議員としての資格に問題があるなら、それを正面から取り上げる必要があろう。

 

また、大臣の失言は「オフレコ」でのものとの反論もあるが、もともと「記者クラブ」なるものがあり、政治家とマスコミのなれ合いが日本の特徴であることは再三、批判されている。その中でオフレコの内容をばらす方が問題だというのはさらに低レベルの議論のように思う。

 

日本の発展のためには、正々堂々、常に正面から行くことが大切であり、特に大臣、政治家には強く求められるだろう。

 

(平成26623日)