「syasou_syusei913.mp3」をダウンロード

 

ローカル線で旅をすることが多いのだが、車窓から見る日本の景色は必ずしも美しくない。ところ構わず立てられている古い看板、うち捨てられた田畑・・・そこにはかつて美しさでは世界でも有数と言われた日本の景色はない。

 

その中で、私が考え込んでしまうのは住宅の老朽化だ。東京では「虎ノ門ヒルズ」が話題を集め、まばゆいばかりの新名所がテレビで放映されているが、その光景とローカル線の車窓から見える日本の住宅の貧弱さは、同じ国のこととは思えないように感じる。

 

「東京だけが栄えている」というのは本当のことだ.人口は日本全体の1割程度の東京だが、富の2割を吸収している。しかも土地も狭いので効率が良い.今では世界一効率の良い町と言っても良いだろう.そこにちょっと前までは考えられなかった超高層ビルが林立し、そのなかはまるでかつての宮殿のような装飾と豪華なレストランが並んでいる。客のほとんどはサラリーマンと若い女性である.

 

そこで交わされる話題は、「もう何もいらない。生活するのに十分だ」というのが中心で、「これからは心の時代だ、環境が大切だ」となる。そして「自然に接するため、次はミンダナオ島だな.あそこはいいよ。パイナップル畑が延々と続いている」ということになり、夜の11時になると終電に乗って家路につく.

 

自然なら日本の地方に行けばいくらでもあり、田んぼも延々と続いている。そしてそこには東京では見られない木造の平屋、それも築80年の家がひっそりと建っている.なにも環境と言いながら航空機でミンダナオまで行かなくても良い。

 

あるとき、ミンダナオ島に行ったら、東京の目黒に住んでいる人が理事長を勤めている「ミンダナオの自然を守る会」の人に会ったことがある。多くは話さなかった.彼女の様子を一目見れば、彼女が「人間には身分というのがあるのよ」と思っていることは一目瞭然だからだ。

 

日本の富は日本全体で稼いでいる。でもその富の多くは東京に集中し、そこから海外にも出て日本の海外純資産は240兆円にもなる.もし、その富を外国ではなく日本の地方に投じたら、地方の様子はずいぶん違うだろうし、通学道路もできて小学生が犠牲になることもないだろう.

 

国債の赤字は1000兆円を超えるまでになっているけれど、東京を中心として使われたお金は戻ってこない。だから「子孫につけを回すな」というこれも東京の論理で、消費税が上がり、地方からまたお金が東京に集まっている.

 

東京が悪いのか? そうではないと私は思う。狭い日本だからその土地を有効に使わなければならないのは誰でも知っている.でも東京にお金が集まり、東京が栄えるのは東京に原因があるのではなく、地方の気力の低下ではないかと私は思う. 「気力の不足」を「日本人の遠慮深さ」と言っても、「幸福というものの本質を知っている」と言っても良いだろうが、とにかく東京の人に向かって「あなたたちは間違っている」と堂々と論を展開する気力を持たないというように思う.

 

日本人とは変なもので、リサイクルと言っても、誰も有効にものをリサイクルできていると思っていない.もちろんリサイクル制度ができる前からあった鉄のスクラップは一部の紙が順調なのは当然だが、法律ができてお金が取られるようになってからのリサイクルは資源は余計に消耗する、人に分別を強いてまとめて焼却するという非倫理的なことも平気だ。

 

それと同じで、東京と地方にこれほどの差があって、地方の住宅はこの時代の日本のものとは思えないほどのものだが、それでも十分と言えば十分だし、幸福と言えば幸福だから、そのままになっている.

 

でも、私はそうではないと列車の車窓を見ながら思う. 豊かでゆっくりした人生を送ることができるのだ。でも、それを求めないのだな・・・

 

(平成26616日)